三池崇史監督が明かす、神木隆之介と寺田心、2人の“天才子役”の共通点とは?
「大沢たかおさんは、自分の力を120%出せるような役や場所を求めている」
現場では、寺田と共演することで、大人の役者たちも刺激を受けていくという相乗効果もひしひしと感じていたという。「例えば心くんが実際に隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)の特殊メイクをした大沢さんと向き合うことで、当然芝居が変わりますが、大沢さんのほうも心くんから普段とは違うなにかを引き出されるんです。むしろ周りの大人たちのほうが影響を受けているかもしれない。普段は大人同士でやっていることが通用しないというか、テクニックだけじゃダメなんだと思い知らされる。それは役者だけじゃなくて、スタッフ陣も感じていたんじゃないかと」。
大沢が演じた隠神刑部は、妖怪バイク“牛鬼”に乗る、豪快な狸の大妖怪だ。大沢は、三池監督作の『藁の楯』(13)と『風に立つライオン』(15)』で主演を務めていて、本作は3度目のタッグとなった。「いろんな状況で、大沢さんがいま、隠神刑部役を演じるメリットがあったのかどうか、僕にはわからないです。ただ、台本のなかになにかを感じとったのかもしれないし、大沢さんの心のなかにある不満や不安、願いといったものと、隠神刑部という役は、どこかで無関係じゃない気もしました。それで引き受けていただいて、いざやるとなったら、大沢さんは全身全霊でやってくれたんです。それは過去に彼と組んだどの作品よりもすごい集中力で、大沢さんはすごく変わったなと思いました」。
大沢は、2016年から2年間の休業を経た復帰後の会見で「メーターを振り切っている、一番挑戦している作品だけをやって、自分の俳優人生を終わろうと決めて戻ってきました」と宣言していたが、本作もそのなかの1本である。三池監督は大沢について「120%でぶつかってくれた」と感謝する。「彼は以前からスターだから、自分に求められているものをわかっていたし、台本に書いてあるものを、見事にやってのけるという印象でしたが、今回は1カット1カットに本気で臨んでいた感じです。それが、周りに対しての真剣勝負だと暑苦しいんですが、大沢さんの場合は自分に対しての勝負だからむしろ爽やかな印象で、僕たちも背筋が伸びるんです。今回は彼に助けられることばかりでした」と、大沢の変化を目の当たりにしたそうだ。
「僕らはプロとして映画に携わっているので、映画の現場も日常の一部ですが、本来は非日常的な空間であるべきです。でも数多く作品を撮っていくうちに慣れてしまい、当然甘えというか、力の抜きどころがわかってきます。でも、大沢さんはそういう生き方が嫌なんでしょう。だからあとで後悔したくないし、120%出せるような役や場所を求めているのではないかと。その迫力はすごかったです」。
撮影終盤ではコロナ禍となり「撮影続行も危ぶまれた状況で撮ったから、スケジュール的にはかなり影響を受けましたし、平時に撮った作品とは違うものになったかもしれない」と言うが「だからといってそこを意識して新たにメッセージを盛り込むことはしなかったし、むしろメッセージ性の強い台詞をわざと削ったくらいです。なぜなら自分自身が、そういう映画を観たいとは思わないから」と述懐。
「なにかメッセージを発するために映画を作るのではなく、やりたいものをやりたいように無心で撮っていくなかで、そこに自然と意味が生まれたらそれでいい。なによりも観た人があとで判断すればいいものだと思っています。ただ、現場ではスタッフも含め、たくさんの人間が同じ方向を見ていたし、それをカメラが押さえたはずだから、きっとなにかが映っているはず。いま日本にいる我々に、勇気を与えてくれる作品にはなったと思います」。
コロナ禍の厳しい状況のなかで制作されつつも、まごうことなきエンタテインメント大作として完成した『妖怪大戦争 ガーディアンズ』。三池監督が語ってくれた「無心で撮っていくなかで、自然と生まれた意味」はぜひ、完成した映画を大スクリーンで観て、確認してほしい。
取材・文/山崎伸子