「嵐は甥っ子のような存在」堤幸彦監督が『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』で伝えたかった“嵐らしさ”
「嵐はずっと、近所のお兄さんみたいなかんじ」
撮影にあたり、嵐に対して演出をつけることはなかった。もちろん、嵐とファンとの時間を邪魔してはならないという想いもあったが、「嵐のライブは、松本(潤)くんが立ち位置も含め細かく完全演出しているもの。それを、撮影という事情で“こうしてくれ”という想いはなかったですね」と、嵐が作り上げる「丁寧に作り込み演出された舞台」へのリスペクトが根底にあった。
一方、メンバーから「カメラに対してどうすればいいのか」という確認はあったというが、監督の答えは「好きにしてくれ(笑)」。その一言に込められた信頼関係が頼もしく、親近感が微笑ましい。「笑うでもいい、無視でもいい。余裕があってカメラにサービスしてくれるんだったらそれもいい。ただ、その時大事なのはファンとあなた方なのであって、カメラはそこを撮りたいだけだ」と、嵐に伝えた。唯一、指示を出したとするなら「自由に楽しもう」。
ライブフィルムを映画館で観る意義とは。立体感のある音響や、それにより生みだされる没入感は当然のものとして、堤監督は「映画館で客席に座って観る、聴くという特別感」を挙げた。「私のように昭和生まれの人間は、映画館に対して祝祭的とでもいいますか、独特の高揚感があるんです。子どものころは正装して映画館に行きましたから(笑)」。それは、ライブ当日のときめきにも通ずるものがある。「わざわざ出かけて行って、宝物を観て、その気持ちを大切に持って帰る。それが醍醐味ではないでしょうか」と、“宝物”の出来栄えを誇った。
「日本のライブ史上、最大規模といえるであろう計125台のカメラを使って撮影した記録。そういう意味では、私の“Record of Memories”でもあります」と語る堤監督。ここまで話してふと「あの時、5万2000人が当たり前に歓声をあげ、隣の人と肩をたたき合い、嵐を中心に一種の祝祭的な空間ができていた。それが数か月後にはまるで違う世界になってしまって…」と想いを馳せた。「そういう目で見ると切ない気持ちになるけれども、同時に“あの時代にもう一度戻していかないと”という新たな気持ちになります。そういう意味でも節目となったライブ、作品ではないかと」。
多くの人を熱狂させる嵐のライブの魅力を、堤監督は「非日常の究極」と表現する。「嵐は、エンタテインメントの究極の形を目指している。その時彼らが感じ得る、最高の舞台技術を提供していますよね。観客も、いわば祭を見るような気持ちでいただろうし、観終わったあとも興奮は醒めやらない。プロの私ですら、その祝祭感みたいなものに巻き込まれていきますから」。何度ステージを観ても興奮したという堤監督に芽生えたのは「究極のエンタメを撮る」という覚悟。スタッフと共に、自分にできる最高の技術を持って収録に挑んだと、改めて振り返る。
堤監督にとって「甥っ子たちみたいな存在」だという嵐。彼らが多くの人に愛される理由について「ずっと、近所のお兄さんみたいな感じ。アイドルとファンというよりもっと、親近感を持って近い距離で見ていられる。誰もがそう感じるんじゃないでしょうか」と分析する。確かに、東京ドームの中心で輝く嵐は遠い存在であるはずなのだが、不思議なほど近くに感じる瞬間がある。「5人に個性があって、それぞれが様々なフィールドで活躍しているけれど、5人揃った時には嵐というアイドルになって、エンタメの究極を表現している。とんでもない高みにいる国民的大スターなんだけど、私にとっては親戚のお兄さん(笑)。そのアンビバレントな感じをずっと持ってるんですよね。そうした彼らの親しみをレンズを通して感じ取れた時、撮っててよかったなって思いました」。そう言って優しい笑顔を浮かべた。「何年経っても“よう、元気ですか?”って気楽に言い合えるのは、彼らの持つ人徳。こんなグループはほかにはなかなかいないですよね」と、“甥っ子たち”を語る表情はどこか誇らしげだ。「『ピカ☆ンチ』のころから全然変わらなくて、いつ会っても安心する存在。ですから、嵐の大きな節目であるのならば“おじさん頑張っちゃうよ”、なんてね(笑)」と、述懐しながら目を細めた。
取材・文/新亜希子
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