平野綾、声優デビュー20周年の現在地。「涼宮ハルヒの憂鬱」と「レ・ミゼラブル」への感謝
「周囲の求める“平野綾”にならなければと思い、苦しんでいた」
本作の音楽は、今年映画化もされたブロードウェイミュージカル「イン・ザ・ハイツ」などで知られるリン=マニュエル・ミランダが手掛けている。もともと彼の大ファンだったという平野は、劇中でイサベラが秘めていた想いを爆発させる楽曲「本当のわたし」で歌唱も披露している。「完璧じゃない生き方を求めても、わたしはわたし」という歌詞が心に響くが、平野自身、イサベラと同じように完璧を求めて苦悩した時期があるという。
「私も、もう少し若い時期は完璧を求める気持ちがとても強くて。自分に対してのハードルを上げすぎてしまって、“自分はここまで行き着きたいのに、届かない”と感じてしまっていました。また、“周囲の求める平野綾にならなければ…”と思ってしまったり。これは八方美人でしかないんですが、いろいろな方面から私を知ってくださったファンの方がいて、“アニメのファンの方にはこういう顔、舞台のファンの方にはこういう顔を見せなければいけない”と、求められるものにどうしたら応えられるのだろうかと考えることも多かった」と述懐。
そういったプレッシャーをほどくことができたきっかけは、2016年に演劇を学ぶために旅立ったアメリカへの留学経験だ。平野は「アメリカの文化に触れ、“人と人の交流は、他者への尊敬を示すことから始まる”ということが身をもって経験することができました。そのことによって、“変に頑張りすぎなくても、自分のままでいいんだ”と思えるようになって。“ここではこういう顔をしなければいけない”といろいろな顔を持ちすぎてしまっていたものが、グッと一つにまとまったような気がしました。“私はこうなんです”と自信を持って言えるようになって、それからはとても気持ちが楽になりました」と柔らかな笑顔を見せる。
「ハルヒがなければいまの私は絶対にいない。いまでも励ましてくれる存在」
平野は今年、声優デビュー20周年、ミュージカルデビュー10周年となる節目を迎えた。これまでの転機と思える作品を振り返ってもらうと、「子役から芸能活動をスタートさせて、小学校6年生の時にドラマのお仕事で、語り部分を担当することになって。私の語り口調がおもしろかったのか、そのドラマをきっかけに声優のオーディションを受けてみないかとお話をいただきました。それがまず一つ目の転機です」と回想。「声優業においては、いくつか転機と思える作品がありますが、やっぱり19歳で出演させていただいた『涼宮ハルヒの憂鬱』からいままでの世界がガラッと変わるような経験をさせていただきました。あの作品がなかったら、いまの私は絶対にいないなと思います」と打ち明ける。
好奇心旺盛でポジティブなハルヒは、テレビアニメ放送から15年、『涼宮ハルヒの消失』公開から10年を経たいまでも高い人気を誇っている。日本アニメ史に名を残すようなヒロインとなったが、ハルヒを演じていた時期はまさに平野が「周囲から求められるイメージにプレッシャーを感じていた」時期だったという。「ハルヒを通して楽しかったこと、すてきな経験もたくさんさせていただきました。でも当時の私はまだ10代だったこともあり、人格形成がやっと出来上がりつつあるような時期。プレシャーを感じて、とにかくつらかった」と苦笑いを見せながら、「いま振り返ると“本当に自分はこれでいいのかな”と悩みながら演じていることが、ハルヒとリンクしていたのかもしれない」と語る。
スケジュール的にも多忙を極め、「ハルヒを演じていた1年は、めちゃくちゃ大変(笑)。1年だけれど、10年分ぐらいの経験をしたように感じます。それこそハルヒのように、いろいろなことが巻き起こっていましたね。体を壊してしまって、“私、このままじゃ生きていけないかも”と不安になってしまったこともあります。乗り越える元気すらなくなってしまって、かなり苦しかった」とキャリアのなかでももっとも苦しい時期ではありながら、「ものすごく成長をさせていただいた。本当にありがたい出会い」と感謝する。
いま、平野にとってハルヒはどのような存在になっているのか?すると平野は「自分たちの手の届かないところまで行ってしまっているような存在。私個人が語るというよりも、みんなのものだと思っています」と微笑み、「ファンの方たちが作品を愛して、育ててくださった。ファンの方の声が衰えないことが、本当にありがたいなと感じています。またいまでもハルヒの楽曲をいろいろな人が歌ってくれて、『God knows...』もたくさんの方がカバーしてくれています。ミュージカルのように楽曲がどんどん歌い継がれていくって、ものすごくすばらしいこと。そういった様子を見て私も励まされます」とうれしそうに話していた。