平野綾、声優デビュー20周年の現在地。「涼宮ハルヒの憂鬱」と「レ・ミゼラブル」への感謝
「夢を叶えた秘訣、“平野綾ならば絶対にやりきる”という感覚がある」
舞台俳優としてのターニングポイントとして思いだすのが、2013年にミュージカル「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役を演じたことだという。「もともと子役を始めた理由もミュージカルに出たかったからで、声の仕事が忙しい時でもミュージカルがやりたいという気持ちを強く持っていたんです。やっと2011年にミュージカルの世界に足を踏み入れられて、その後『レ・ミゼラブル』に出演させていただけたことで、また新たな扉を開けてもらいました。個性が違うクアトロキャストのなかで、エポニーヌを思いきり演じさせていただいた。そのことが帝国劇場で初主演を務めさせていただいた『レディ・ベス』にもつながりました」としみじみ。2014年の「レディ・ベス」初日に行われた会見で、平野が瞳を潤ませていたことも印象深い。
声優として人気を獲得しながら、舞台の世界に飛び込むことには当初「不安もたくさんあった」そう。「これはすごく不思議なんですが、私はどこの世界に行っても“よそもの”で。ミュージカルの世界に行けば、最初は“声優さん”と言われていたし、声優の世界に行くといまでは“ミュージカルの人”といわれる。いろいろな人だと思われている!」と楽しそうに声を弾ませながら、「でもそれって、逆に私の強みなのかなと思っています」と晴れやかに語る姿からも、充実の時を迎えていることがひしひしと伝わる。
平野が突き進む原動力となっているのは、エンタテインメントの世界が大好きだという揺るぎない想いと、小学5年生で芸能活動を始める時に両親から言われた「いまからこの仕事を選ぶなら、一生の仕事にしなさい」という言葉だと明かす。
「子役のころから考えると、芸能活動を始めて来年で25年くらいになると思います。そのなかでもう無理だ、お仕事を辞めようと思ったことは何度もあります。それでもなぜこの世界に私はいるんだろうと思うと、やっぱりこの世界が大好きだから。子どものころに観たミュージカルに心を動かされてお芝居が大好きになって、自分もこの世界にいたいと思った。でもプロになると、いろいろなプレッシャーが生まれて、素直に楽しめなくなってしまったこともありました。“プロだから、楽しんじゃいけない。それより責任を持たなければいけない”と思ってしまったり…。でもいまでは、どんなスタンスでもいい。楽しんだっていいじゃないかと思えるようになりました」。さらに「数年前に父が亡くなったのですが、私が父の想いを受け継いでいかなければいけないんだと思って。父の気持ちを引き継いで“頑張るね”と約束しました」と、“継承”の想いも彼女を支えている。
コロナ禍においては、エンタテインメントへの情熱を改めて握りしめたとも。「コロナ禍では、客席に観客の方々がまったくいなくなってしまった。舞台を再開できるようになって、お客様がいることを目にするだけでもちょっとウルウルしてしまったり。声を出せない代わりに一生懸命拍手で気持ちを伝えようとしてくださっているお客様を見ると、“通じ合えているな”と感じます。本当は元気を与えなければいけないのに、こちらが元気をもらっているよう。役者、お客様、スタッフの皆様、たくさんの方の想いを共有できる場所で、なんてすてきな世界だろうと思います」と目を細める。
どんな質問にも心のこもった答えが返ってくる。自分の生きると決めた世界の厳しさも味わいながら、エンタテインメントへの愛を確かなものとし、それを届けられる喜びが全身からあふれだすような輝きに満ちている。最後に夢を叶えられた秘訣だと思うものを尋ねてみると、平野は「プライベートだとなんでも三日坊主にしてしまったり、面倒臭いと思ったら後回しにしてしまったり」と笑いながら、「でも仕事に関しては、“平野綾ならば絶対にやりきる”という感覚がある。強気に出ながらも、不安もあるんです。そう思うことで自分に対して“頑張れ、頑張れ”と鼓舞しているのかもしれません。“きっとやりきる”と信じる力が、自分の強さなのかなと思っています」とキッパリ。凛とした眼差しで、これからも平野綾は走り続ける――。
取材・文/成田おり枝