杉山愛が肌で感じた『ドリームプラン』とウィリアムズ姉妹の衝撃…「私が対戦したなかで間違いなく最強の選手です!」
「理にかなった動きの追求でテニスをやっていなかったからこそ、改革的な発想が生まれた」
リチャードはテニス未経験だが、最新の技術を取り込もうとする研究意欲はすさまじい。映画のなかで印象的なのが、ビーナスに将来性を感じ、指導することになった有名コーチが、フォアハンド(利き腕側)でボールを打つ彼女に“クローズスタンス”を覚えさせようとするのだが、そこへリチャードが割って入り、「“オープンスタンス”にすべきだ」と譲らないシーン。スタンスとは、ボールを打ちに入る際の左右の足のポジションのことで、(右利きの場合)右側へ踏み出した右足を軸にして、左足をねらいたい方向へ踏み込みながら前から後ろへの体重移動でボールを打つのがクローズスタンス。一方、右足を軸にしたまま体の回転を利用してボールを打つのがオープンスタンスだ。
「あれは、リチャードの研究の賜物だと感じるシーンです。理にかなった動きの追求でテニスをやっていなかったからこそ、改革的な発想が生まれたと思っています。リチャードはコーチを名前で判断するのではなく、なにを教えているのか、内容に焦点を当てて姉妹に合った人選をしていました。信じていることをしっかり教えてくれる人を探し、やり切ったことが成功の要因だと思うし、映画でもそこがしっかり描かれているので、すごくおもしろかったです」。
1990年代のテニス界は道具や技術的な面でも黎明期であり、コントロール性を重視した伝統的なクローズスタンスを推すコーチと、パワーショットが打てる比較的新しいテクニックであるオープンスタンスにこだわるリチャードはどちらも正しい。しかし。身体能力の高さを生かしたテニスが得意なビーナスやセリーナだからこそオープンスタンスを使いこなせたと言え、それだけにリチャードには先見の明があったと言えるだろう。
「リチャードには人生、子育て、それぞれに哲学があります」
本作からは、テニスと家族の関係、特に親の存在の重要性も感じ取れる。杉山も「家族の存在は切っても切り離せません」と強調する。「テニスプレーヤーは、年間250日ほどかけて世界各国で行われる大会に出場しなければならないので、試合や練習以外の日常をどのように過ごすかも大事になってきます。だからこそ、チームのなかに両親や兄弟がいれれば、苦しい時でも精神性に支えられ、戦い抜くことができるのです」。
そんな姉妹を育てたリチャードの指導術はとても極端な事例である。参考にできることはあるのだろうか?
「エクストリームな例だから難しいかな。ビーナスとセリーナの場合は身体的能力も特別だったし、リチャードの教えはそれを活かしたものだったので。リチャードには人生、子育て、それぞれに哲学があります。最初はレールを敷いたけれど、押したり引いたりがすごく上手だと思います。子どもから大人への転換期ってすごく重要で、成長の度合いによって変わってきます。映画のなかで、ビーナスのプロデビューを巡って夫婦で言い争っていたように、とても難しいことなんです。用具契約のシーンもそうでしたけど、大事な選択をビーナスに決めさせたこともすごく大きいと思います。一人の人間として尊重し、いい距離感を取っていると感じました」。
杉山がプロデビューしたころについても聞いてみた。「私も、割と自由にやらせてもらいました。高校2年生、17歳でプロになりました。15歳でワールドジュニアランキング1位になり、翌年国内トッププロも参加する全日本室内選手権大会にて高校1年生の終わりに優勝しました。高1の時、マルチナ・ナブラチロワ(グランドスラムでシングルス18勝、ダブルス31勝、混合ダブルス10勝の名選手)との対戦で1セット奪い、『将来が楽しみ』と周囲から言われたことも私のなかでは大きく、プロになろうという気持ちのあと押しにもなりました。プロへの転向は早かったけれど、自分で決めたことだったので、迷いはありませんでしたね」。