『エルヴィス』のファッションから読み解く、現代にも羽ばたき続ける“エルヴィス・プレスリー”という伝説の始まり
ファッションを自己表現として使った最初のアーティスト
“ロックンロール”は言葉通りRockとRollを合わせたものだが、ファッションにおいてエルヴィスがそのキングと呼ばれるのは、アーティストが自身の表現方法としてファッションを用いた最初の人だからだ。“エルヴィス前”は、アーティストの衣装は単なる衣服であって、それがパフォーマンスの一部ではなかった。いや、正確に言うとそれは白人の観客にとってのことであり、ホワイト・カントリーの歌手はそろってウエスタンルックに身を包み、“男らしい”とされる地味な色味でまとめたものだった。しかしエルヴィスは、自分のアイデンティティを反映させられるステージングを追い求めることで、自分のルーツを思い出すことになる。ブラック・ミュージックやゴスペルは、体の動きや歌に込める情熱などを含め、個性の発揮やファッションもエンターテインメントの一部であるのが当たり前だった。そしてエルヴィスの挑発的なあの動きは、文字通りムーブメントになっていく。
当時のエルヴィスは、別に伝説を作るつもりでファッションを選んでいなかったかもしれないが、少なくとも、「I can’t sing if I can’t dance」と言っており、全身(特に足)が動かせないルックをチョイスすることはなかった。ただ、あの動きはあまりに挑発的であると禁止されたりもして、彼のロックンロールは“反逆者”の象徴になったけれど、それが当時の若者たちには衝撃的だった。物議をかもしただけでなく、あまりにかっこいいので、みんなこぞってマネをした。厳密にいうと、エルヴィスファッション史の中期には、その反抗心を抑えつけた「ミリタリー&ファミリー時代」があったのだが、それも世間(特にオトナ)の風潮や当時の警察が勝手にエルヴィスを危険とみなしただけで、エルヴィスからすれば、ストレートに自分を表現しただけだった。これまでのしきたりやレールにのらずに生きようとしたのだ。しかし未知を恐れる権威のようなシステムからすると、そんなエルヴィスのような前人未到の人間は、危険以外の何者でもなかったのだろう。
そんなふうに、やることなすこと制限される前のエルヴィスファッション史前期(50年代)は、新鮮で斬新なファッションのオンパレードなのだが、この期ではピュアな青年エルヴィスが余すことなく投影されている。グルーミングでは、アイラインをひき、ポマードで固めたリーゼントヘアも特徴的だが、前髪を長めに垂らして“抜け”を加えていた。エルヴィスおよびオースティンの本来のヘアはブロンドに近い明るいブラウンだそうだが、あえて黒く染めており、男性でそのようなことを始めたのもエルヴィスが初だという。
劇中でも、大佐がその恰好を「ガーリー」と表現し、ライブで初めて新人エルヴィスを見た時の客が、「女かよ」と野次を飛ばすことが描かれている。こういったことが後にどれだけのインフルエンスを残すかについて、当時の彼は知るよしもなかっただろう。昨今になって市民権を得たジェンダーフリュイドという概念が議論されるずっと前から、“これまでは女性だけのもの”だったグルーミングや、ファッションにフリルやレース、ピンクを取り入れたことは、エルヴィスの中にあった当然のマインドだったにしても、特筆するにふさわしい。このピンクやレースを好むといったフェミニンな側面は、彼がものすごいママっ子だったことに深く関連している。母親が大好きであるがゆえに、母性や女性性を象徴するようなアイテムを好んで身に着けたのだ。劇中でも成功したアーティストというより、繊細で心優しく、家族の幸せを一番に考えるエルヴィスを照らし出すことに比重が置かれていて、いかに母親が彼にとって特別な存在だったかが見てとれる。
そして大変興味深いことに、フェミニンさを取り入れたことで、エルヴィスはそのセックス・アピールをもってして全米を熱狂させたのであり、とにかく“エロ”かった。その人の性別が男だとか女だとか、性的趣向が異性だとか同性だとか、そういうバイアスや枠組みというのは関係なく、人というのは本来フェミニティとマスキュリンの双方を兼ね備えており、セックス(性差)を超越したところに人としての魅力があるから、彼は本当の伝説となったのである。そのセンシュアルさは、よりアンドロジナスなデイヴィッド・ボウイを経て、現代ではハリー・スタイルズが継承している。
白と黒、リズム&ブルースとカントリー、男と女。人種、ジャンル、カテゴリー。他が定めた垣根を軽やかに超えて羽ばたく者を人は伝説と称える。彼らが残した足跡を拝む時、エルヴィスがいかに特異だったかがわかり、本作『エルヴィス』は、それを伝えることに成功している。
文/八木橋 恵