『猟奇的な彼女』の監督が明かす、初の恋愛群像劇に込めた想いと“ラブストーリー職人”としての流儀
「どうすれば彼らを救い、希望を取り戻してもらえるのか。それはやはり“愛”なんですよね」
ホリデーシーズンの幸福感と、ユーモアにあふれるキャラクターたち、繰り広げられるハートフルな交歓が胸をときめかせる本作だが、一方で監督は韓国社会の現実への眼差しも忘れない。ハウスキーパーのイヨンは、ミュージカル女優という夢と現実の狭間で悩みを抱えており、ジェヨンは公務員採用試験の失敗と失恋で自殺を決意する。若者が社会に希望を持てないという要素は、最初のシナリオの段階からすでにあったそうだが、監督は若い20代の苦悩を真剣に掘り下げようと自身の娘にヒアリングしたところ、「90年生まれが来る」という本を教えられたという。「9級公務員世代(最下位職の公務員)」と定義されることがある90年代生まれたちの苦悩を分析した話題の書籍で、東方神起のチャンミンがInstagramで紹介したこともある。
「本を読んでみると、韓国の若者は安定した生活を送るために公務員になりたいと思っている人が多いことがわかったんです。そこで昨今の事情に合わせて、最初のシナリオにあった(カン・ハヌルさん演じる)ジェヨンが会社員の試験を受けるという設定を、現実に即して公務員採用試験に変えました。彼はずっと公務員になれず、しかも恋人に振られてしまうという現実的な問題を抱えているキャラクターです。そしていま韓国では、以前に比べると自殺をしてしまう人の数が非常に増えているんですね。そうした現実を代弁するようなキャラクターを作ったうえで、どうすれば彼らを救い、希望を取り戻してもらえるのか考えました。それはやはり“愛”なんですよね」。
日常的に“愛”を口にするのは気恥ずかしいが、監督の口から放たれた“愛”という一言は純粋で真っ直ぐで、心に重く響いた。映画終盤に用意されているあるシーンは、そんな監督が考える“愛の表現”についてのこだわりが現れている。
「いろいろなラブストーリーで、愛の告白という行為がありますが、本作で描かれるあの告白シーンは、あまりなかったのではないでしょうか。そもそもメロドラマは氾濫していて、ジャンル的に確立されたものです。いまや多くの人たちにとって見慣れた、もしかすると見飽きてしまったものかもしれません。作り手が“これは観たことがないだろう”という作品を撮っても、観客から“どこかで観たことがある”と言われてしまうのは仕方がないんですが、それでも以前から恋愛映画を手がけてきた1人としては、少しでもなにか違った形、新しいシーンを見せたいという情熱があります」。
ドッペルゲンガーという超常現象でアプローチするラブストーリーや、一見エキセントリックな女性と育む純愛など、観客の驚きと喜びのために創意工夫を尽くし、心にぬくもりを届けようとするクァク・ジェヨン監督。時代が移り変わるにつれて、現実では恋愛の伝え方や形が多様化したが、それでも変わらないのは、誰かを愛おしいと思う真心なのではないだろうか。社会が変遷を遂げても、クァク・ジェヨン監督のようなシネアストがいる限り、ラブストーリーは輝きを失わず、とびきりロマンティックであり続けるだろう。
「いまの映画を観ると、劇中で人が亡くなったり、血がたくさん出たりするような映画がたくさん撮られていますよね。あるいは男性中心の映画も大衆に好まれています。ですが、恋愛映画を守る立場の私としては、ラブストーリーの系譜を絶やさないように、いわば職人になりたいと思っています」。
取材・文/荒井 南