妻を鶏のエサに、娼婦は刃物で血まみれに…倫理を蹂躙する殺人鬼の正体は?
公開当時「ゴダールが麻薬漬けになったようなスリラー」と評された、“知る人ぞ知る”イタリア製の猟奇サスペンス映画『殺しを呼ぶ卵』(68)。日本をはじめとした世界各国で公開された際にカットされた約15分の残酷シーンと異常シーンが、このほど50年以上の歳月を経て復元。『殺しを呼ぶ卵 最長版』として公開中だ。
物語の舞台は3万羽のニワトリを飼育するローマ郊外の巨大な養鶏場。業界の名士である社長のマルコは、妻のアンナに財産と経営の実権を握られていた。そんなマルコには2つの秘密が。ひとつは同居するアンナの姪でまだ10代のガブリと愛人関係にあること。そしてストレスが溜まるたびにモーテルの一室を訪れ、呼び出した娼婦をナイフで血まみれにする性癖があるということ。ある日マルコは、ガブリと新たな人生を始めるため、アンナをニワトリのエサにする計画を思いつくのだが…。
メガホンをとったのは、マカロニ・ウエスタン映画屈指の残酷描写で世界を騒然とさせた『情無用のジャンゴ』(67)のジュリオ・クエスティ監督。第二次大戦中にはパルチザンとしてドイツ軍と戦い、戦後はジャーナリストとして活躍したという異色な経歴に、キャリア初期にドキュメンタリー映画で培った独特な視点を持ち合わせるクエスティ監督は、単なる残酷趣味に留まらずに、残酷だけど美しい、それでいてなぜか考えさせられる奇妙な作品を作りだした。
イタリアといえば残酷映画の宝庫としてお馴染み。1960年代前半にはグァルティエロ・ヤコペッティが火を点けた“モンド映画”ブームが巻き起こり、マリオ・バーヴァの『知りすぎた少女』(63)から始まり1970年代に隆盛を極めた“ジャッロ映画”も代表的。その両方にまたがる時期に作られた本作は、イタリア残酷映画のテイストにフランスのヌーヴェルヴァーグを思わせる巧妙な映画的表現、さらにはシュールレアリズムや社会派的なメッセージも織り交ぜられた一癖も二癖もある作品に。
欲望渦巻く犯罪ドラマを軸にして、倒錯嗜好を持つ主人公の猟奇サスペンスの王道を貫きながら資本主義社会の非情さや生命倫理を蹂躙する企業の非人間性を暴きだし、現代にも通じるアイデンティティの喪失や人生の虚無感にまで踏み込んでいくという、まさに全部乗せ。百聞は一見にしかず。一度足を踏み入れたら抜け出せない、限りなく奇怪でアヴァンギャルドな世界をスクリーンで目撃してほしい。
文/久保田 和馬
※記事初出時、表記に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。