『逆転のトライアングル』でルッキズムや階級社会へ斬り込んだリューベン・オストルンド監督。そのねらいは?
ファッション業界やルッキズム、階級社会への痛烈な風刺を入れ込んだブラックコメディ『逆転のトライアングル』(公開中)を手掛けたスウェーデンの鬼才、リューベン・オストルンド監督。本作は第75回カンヌ国際映画祭で、前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(17)に続いて最高賞であるパルムドールの連続受賞という快挙を成し遂げ、第95回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞の主要3部門にノミネートされた。才気あふれるオストルンド監督が、ブラックユーモアたっぷりの本作に込めた、メッセージや制作秘話について語った。
男性モデルのカール(ハリス・ディキンソン)と、同じくモデルで人気インフルエンサーでもあるヤヤ(チャールビ・ディーン)が、豪華客船クルーズの旅に出る。そこでは、大富豪の乗客たちが好き勝手にバケーションを満喫していたが、ある夜に船が難破し、乗客や乗組員たちは無人島に流れ着いてしまう。食べ物も水もない極限状態に追いやられた彼らのなかで、船のトイレ清掃婦だった1人の女(ドリー・デ・レオン)が、たくましいサバイバル能力を発揮していく。
「どんな見た目をしているかが、社会経験に影響します」
『フレンチアルプスで起きたこと』(14)ではスキー・リゾートを、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』では現代アート界を舞台に、不測の事態に遭遇し、追い込まれていく人間の心理をあぶり出してきたオストルンド監督。本作もしかりで、鋭い洞察力を持って、切れ味抜群のブラックコメディに仕上げた。『逆転のトライアングル』の原題「triangle of sadness(悲しみの三角形)」は、美容業界の用語から来ているそうだが、そこにも監督ならではのアイロニーが込められている。「友人がパーティで形成外科医の隣に座ったところ、医師は彼女の顔を見て『あなたにはとても深い悲しみの三角形がありますね。私なら15分あればボトックスで治せます』と言ったそうです。それは眉間の皺のことで、スウェーデンでは『トラブルの皺』と呼ばれていて、悩みごとがいかに多いかをほのめかしているものです。それはいまの時代においてのルックスへの強迫観念と共に、心の充実度がある意味、後回しになっていることを物語るエピソードだと思いました」。
本作の舞台をファッション業界にしたきっかけは、スウェーデンで、友人のペール・アンデションが経営している「ベロア」というメンズウエア・レーベルとコラボレーションした際に、リサーチをして興味を持ったとか。「僕のパートナーであるシーナはファッション・フォトグラファーだから、ファッション業界の当事者としての詳しい見解も聞けました。ブランドごとに異なるマーケティング戦略を取るし、モデルたちの労働環境についてもたくさんのことを教えてくれました。例えば、一般的に男性モデルは、女性モデルの3分の1しか稼げないといった男女間の違いを、カールとヤヤという2人の視点から捉えられたら興味深いだろうと思いました。さらに大勢の男性モデルから、業界で力を握るゲイの男たちからの誘いを断るのに苦労することも少なくないと聞いたんです。ある意味、男性モデルであることは、男性優位社会において女性たちが強いられていることと変わらないんだとも思いました」。
本作では、ルッキズムについてかなり深掘りしているが「ルックスというのは、人間として向き合わねばならない基本的な事柄の1つで、どんな見た目をしているかが、社会経験に影響します」と監督は持論を述べる。
「その事実は万国共通で、不平等だと言えるけど、その一方で、どこの出身であろうと、美しく生まれつくことができれば、その美は階級社会を優位に生き抜くための社会経済的なはしごになります。女性モデルについては『モデルとしてのキャリアが終わっても、彼女たちなら、いつでも裕福な男と結婚してセレブ妻になれる』ということもよく言われていますが、それは男性モデルにとって、必ずしも可能なことではないですよね」。
「服というのは僕たちなりのカモフラージュです」
また、映画作りについては、常に人間の行動を観察することから始まるというオストルンド監督。本作でも多くのシーンは「行動心理学の観点を強調するような、社会学の研究や逸話の要素があります」と解説。
「特に興味深いと思ったのは、アフリカのサバンナで生きるシマウマの毛皮が、なぜ黒と白なのかを突きとめようとした科学者たちの研究です。サバンナの砂色に合わせて、毛皮は黄色のほうがよさそうでしょう?それで、シマウマは群れに溶け込んでしまうと、個体の識別がほぼ不可能になるので、1頭のシマウマに赤い点をスプレーして、後を追いやすくしたんです。ところが、赤い点が目立ってしまったせいで、そのシマウマはあっという間にライオンたちの餌食になってしまいました。つまり、黒と白の模様は、サバンナに隠れるためのものじゃなく、群れの中に隠れるためのものだったようです」。
科学者たちはこの興味深い結果を人間になぞらえ、ファッション業界に対して、とてもおもしろい指摘をしたそうだ。「人間は服を使って自分が所属する社会集団に隠れようとしていると。つまり、服というのは僕たちなりのカモフラージュです。気取ったイヴニングパーティに行く時の不安な気持ちを思い出してみてください。派手過ぎる服装も、地味過ぎる服装も絶対にしたくないでしょう。服を間違っただけで、さらし者になったような気分になります。経済的な視点から見ても、ファッションブランドが四六時中、新しいコレクションを作っているのも本当に納得がいきます。僕たち消費者は、頻繁に服を買い換えざるを得ないから」。