カズオ・イシグロが語る、『生きる LIVING』にの主人公に“命短し”と歌わせたくなかったメッセージ
「世界をより良い場所にするために、自分にはどのような貢献ができるのか」
イシグロ氏が黒澤明監督の『生きる』と出会ったのは10代の時だという。年齢を重ねても、初見で抱いた感想はずっと揺らぐことなく彼の中にあるという。
「『生きる』のテーマについての見方は、10代で見た時はいまとは全然変わっていません。年を重ねた男性が死にゆく物語ではありますが、当時10代の僕にはすごく響くものがあったし、僕だけでなく同世代の友人たちも同じような影響を受けていました。10代、20代というのはまだ未来がどうなるかわからないので、理想主義的なことを友人間で大いに語らう時期でもあります。どういう価値観を持って生きていったらいいのか、主人公の人生にどういう意味を求めたらいいのか、世界をより良い場所にするために、自分にはどのような貢献ができるのか、そういうことを『生きる』を観て話し合ったりするわけです。でも、仕事に就くようになって、年を重ね、同じ人生がずっと続くような日々になっていって、自分の人生にも残された日々がそう多くないことに気づく。そこで改めて、いまの自分はどんな風に社会に貢献できるのか、そのことをこの映画は語っているんじゃないかということについては昔と同じ感想を抱いています」。
そこまで言って、「ただ…」と注釈を入れることも忘れない。「『生きる』から私が得たメッセージの一つには、世界が自分を称賛することを期待してはいけないというものだった。一生懸命、努力を重ねたとしても、そのことが他人に認められることがないかもしれない。むしろ、自分が努力した行為が他人の手柄になるかもしれない。一時的に感謝されても、すぐ忘れられるかもしれない。つまり、他人からの承認をモチベーションにしてはいけないということを僕は『生きる』から得たのです。やはり、他人の評価とは関係なく、自分が充足し、満足するべきことをやるべきである。
確かに私は恵まれて、称賛も成功も無関係だと思ってきたけれど、手に入れることができました。でも、自分自身は、称賛を求めてなにかをしようとすることは絶対にモチベーションにしてはいけないと、未だに自分の中で大事にしています。黒澤明監督の『七人の侍』がいい例です。7人の侍たちは小さな村の農民のために戦いましたが、野武士集団を追いやると、農民たちから自分たちの存在はすぐに忘れられる。まるで追い出されるような勢いで、村を後にする生き残った3人の後ろ姿を見ていると寂しく見えるのですが、でも、彼らの中では、自分は正しいことをしたという充足感で満ち足りていたと私は確信します」。
だからこそ、彼は『生きる』で使われていた「ゴンドラの唄」を「ナナカマドの木」へと変えたのだ。妻がスコットランド出身なので、と前置きしたうえで、彼は「『ゴンドラの唄』は、歌詞があまりにも直接的にテーマを語っています。私は『生きる LIVING』の美しいラストで、主人公に“命短し”と歌わせたくなかったのです」と打ち明けた。
「ナナカマドの木」の歌詞は、「お前の葉は春 最初に開き 夏は誇り高く花を咲かせる」と物言わず何年もそこに立ち続けるナナカマドの木を称える内容となっている。黒澤版とオリヴァー・ハーマナス監督の『生きる LIVING』を見比べてみて、イシグロ氏が黒澤版をリスペクトしつつ、大事にした箇所をぜひ、発見してほしい。
取材・文/金原 由佳