【リレー連載第3回】永田裕志が胸躍らせる『聖闘士星矢 The Beginning』の可能性「世界への羽ばたきに期待しかない」
「トップの立場にありながら、自身の成熟度にはギャップがあった」
星矢が自身の意思で運命を決断したように、永田自身も新日本プロレスを背負う運命を自ら決めた。「新日本プロレスというブランドだけではお客さまはついてこない。お客さまを離れさせてはいけないという使命感のもと、自分の未熟さを見せないようやたら背伸びして自分を大きく見せていた時期でもあります」とトップという立場にありながら、自身の成熟度にはギャップがあったと吐露。「試合でも、相手に対する発言でも、常に大きく見せようとしていました」と苦笑いしながら「お客さまが減っていくことは許されないこと。トップとして会社を支えるためには、少しでもチケットが売れるようにと営業的なこともしました」と懐かしそうに語る。
そのような立ち振る舞いができたのは新日本プロレスの創設者、アントニオ猪木の存在も大きかった。「新日本設立当初は、家を1軒1軒回ってチケットを売り歩いたというお話を伺っていました。猪木さんですらそういうことをやってきたのだから、僕がやるのは当然のこと。1人でも多くのお客さまに足を運んでいただくための努力は僕なりのやり方でしていたつもりです」としみじみ語った。
総合格闘技ブームの波に押されていた2000年台初頭には、2度、総合格闘技の試合に挑むも敗れた。IWGP防衛記録所持者の永田に大いに期待がかかっていたため、ファンの落胆は激しいものだった。落胆は批判へと姿を変え、永田に降りかかった。
「頑張ってほしいという応援や追い風もたくさんあったけれど、ほかの格闘技がどんどん世のなかに出てきた時期でもあって、強烈な向かい風があったのも事実です。『プロレス凋落の戦犯』なんて言われたけれど、自分が負けたからって落ち込んではいられない。新日本プロレスを支えなければいけないという気持ちがものすごく強かったのを覚えています」と振り返った永田。運命に背を向けなかった理由は「やるしかなかったから」とキッパリ。「新日本プロレスは自分が本当に愛して選んだ会社。どんな向かい風にも負けることなく、会社の柱として前に出るしかなかったです」と回顧した。
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