ホラーマニアも震撼した『ブギーマン』…スティーヴン・キングが描いた、底知れぬ恐怖
「『恐れているものはなんだ?』と問いかけてくる本作。恐怖というのはなくならないもの」(清水)
清水「この映画では、幼いソーヤーが“ベッドの下”やクローゼットを怖がっていますが、子どもはもちろん、大人になっても隙間とか押し入れって怖かったりするじゃないですか。僕もいまだに恐怖を自分のなかのどこから引っ張ってくるかといったら、子どものころに妄想して具現化していったもの。例えば『呪怨』で描いたような、布団の中から出てくるお化けだったりします」
野水「清水監督は、怖がりにとっての唯一の逃げ道だった“布団の中”を潰したから、最悪だって言われてますよ(笑)。布団さえ被っていれば大丈夫だと思っていたのが、そこから出てくるなんて…」
清水「申し訳ありません(笑)。僕は怖がりな子どもだったので、怖い話を読んでは寝れなくなって、布団に潜っていたんです。でも、布団に潜るのは自分で闇を作っているということじゃないかってある日気づいてしまった。その闇にお化けが潜んでいるとしたら、なんの意味もない行為だ。『ヤバイ、ここにも来る』って思っちゃったら、もう寝れなくて…。大人になってから、これを共有させてやると思ってあのシーンを撮りました。逃げ場なんかないということを、お前ら知ってたか?って」
西川「“呪いを拡散する”みたいな話ですね(笑)」
清水「本作を観ると、サヴェッジ監督にもそういう部分があるのだと思いましたし、オリジナルの発想が生まれるのってそういうところからでしょうね」
ナマニク「本作でのブギーマンも、闇の中でないと存在できないという描かれ方でしたね」
西川「実在するものと、しないものではどちらが怖いですか?」
清水「未知なるものが怖いと思っていたいタイプですかね、僕は」
ナマニク「オカルト好きの視点から言うと、お化けは実際にいますよ、って言いたいところだけど、多分いないんだと思います。だけどあってほしい、実在してほしいとは思っています」
野水「そこにはロマンがありますよね。妖怪や都市伝説も人々が信じるから存在する。信じなければ消えてしまう」
清水「本作も『恐れているものはなんだ?』と問いかけてきますよね。自分の心が生み出しているかもしれないということは、退治するには自分に打ち克たなければいけない。解決した、克服したと思ってもまた新たな恐れが襲ってきたりする。多分恐怖というのはなくならないものだから、最終的には自分という“写し鏡”に向き合うことになるのだと思います」
取材・文/タナカシノブ