クローネンバーグ監督作品に華を添えるレア・セドゥ&クリステン・スチュワート。2人が明かした鬼才のたゆまぬ創造性
「クローネンバーグ監督の作品は、観るたびに新たな発見やアイデアと出会うことができる」(セドゥ)
昨年行われた第75回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、公式上映では退席者が続出するなど賛否両論の渦を巻き起こした本作。クローネンバーグ監督は1999年の時点で本作の脚本を執筆しており、世のなかに発表する適切なタイミングを窺いながら、20年以上にわたってこの物語を温めていたという。
その背景にあったのは、海洋汚染によって生じるマイクロプラスチックの問題など、世界中の人々があらゆる社会問題について強く意識するようになったことだという。「私たちはあらゆる問題から目を逸らし、事態は深刻になるばかりです。技術の発展に伴う恐ろしさを、いち早く描いてきた監督の視点は非常に鋭いと感じます。また身体の切断や分離は20年前ではまだ発展しておらず、親しさを感じるために互いを切りつけ合う設定は預言者のようでもあります」とクローネンバーグ監督の先見性を称えたスチュワートは、「自分の鈍さに気付かされました」と畏怖の念を抱く。
80歳を迎えてもなお、創造への意欲が衰えるどころかますます鋭利に研ぎ澄まされていくクローネンバーグ監督に、これまで錚々たる監督たちとタッグを組んできたセドゥとスチュワートの2人も特別な感覚を抱いたようだ。セドゥは目を輝かせながら語る。「彼は象徴的でスターのような存在。会えただけでも本当に幸せなことでした。彼の持つ優しさに深く心を打たれ、そして彼の冒険の一部になれたことを心の底から光栄に思います」。
そして「クローネンバーグ監督の作品は、それぞれまったく異なる雰囲気を携えていますが、共通して隠れたテーマが存在していると思います。なので観るたびに、新たな発見やアイデアと出会うことができる」と、最近になってクローネンバーグ監督の代表作である『クラッシュ』を観て改めて惚れ込んだことを明かす。「『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』で描かれているのは創造性とアート全般についてのメタファー。痛みや混沌、あるいはなにもないところからでも美を創出することができるのだというメッセージを受け取ることになりました」と本作についても熱っぽく語った。
またスチュワートも「監督にはまだ何本ものアイデアがあって、それについていくのは決して容易なことではありません。人生の多くを芸術に捧げ、痛みを伴いながらも寛容な心でその内面を共有する人です」とクローネンバーグ監督への敬意をのぞかせ「芸術家としての痛みと喜びは紙一重です。常になにを与えられるかを考え、新たな臓器で世界を驚かし続ける芸術家が人生の終焉を迎えようとする姿を描いた本作には、随所に監督の個人的な想いが込められていると感じました」と語る。
「撮影後に、ヴィゴの演じるソールという役は、まるで監督の写し鏡のような存在であると気付きました。美しく崇高で、希望に満ちた芸術への愛と信頼が描かれており、彼にとって宗教では簡単に定義できない言葉のようです。宗教や愛、セックス、芸術の違いとはなにか?私たちとの違いはなんなのか?それに個人主義の真意とは?そうしたあらゆる答えが本作でわかるかと思います」。
最後にスチュワートは「政治、社会的な面と個人的な面が伴い、親密で美しい芸術は楽観的かつ希望に満ち、繋がり、変化し続ける。作り手として動物として、経験は私たちの肉体に宿るものです」と、本作に含まれたあらゆる命題についても深掘りしていく。
「本作は完全に崩壊した世界を描いています。『何故いままで気が付かなかったのか?』『まだ解決法があるのではないか』と思うかもしれません。誤って摂取したプラスチックはすでに体内で見つかり危険な状態です。プラスチックを消化する方法を考えたり解決法を見つけられればと思うかもしれませんが、喜びと悲しみとはそういうことであり、摂取して栄養にすることは理想的ですが、芸術の世界だけで表現できることでその美しいアイデアが描かれるのです。本当に可能なのかはわかりません。ですが、いかに現実世界が狂っているかを知ることはできるでしょう」。
構成・文/久保田 和馬