「岩井作品に“松村北斗”はいらない」岩井俊二監督と松村北斗が語り合う、『キリエのうた』の舞台裏
壮絶な運命と無二の歌声を宿した路上ミュージシャン、キリエの音楽がつなぐ13年に及ぶ壮大な愛の物語を描いた、岩井俊二監督最新作『キリエのうた』(公開中)。降りかかる苦難に翻弄される男女4人の人生がせつなくもドラマティックに交錯していく本作で、姿を消したフィアンセを捜し続ける夏彦を松村北斗が演じている。岩井作品が大好きだという松村は現場でどのような時間を過ごしたのか。岩井監督の目には、役者としての松村はどのように映ったのか。撮影を振り返り、お互いの印象や現場での思い出などを語ってもらった。
「夏彦はある種、自分の思い出の集大成のような存在」(岩井)
――夏彦役に松村さんをキャスティングした理由を教えてください。
岩井「中学時代の友達が『岩井に似ている子が朝ドラに出てたよ』と連絡してきたことをきっかけに『カムカムエヴリバディ』を観て。似てるかな…とは思ったのですが、中学時代の僕は友達にはこんなふうに見えていたのかなと思ったりして。それからなんとなく気になっていたので、キャスティングをどうしようと考えていた時にふと浮かびました。夏彦は存在感がある個性的な感じではなく、どこか透明感がある感じというのが僕のなかにあって。そんなところが松村くんに合うんじゃないかなというのが、最初に思ったこと。直感という感じです」
――撮影を通して、監督と松村さんが似ていると感じた瞬間はありましたか?
岩井「似ていると思うことも、自分の昔を思い出すこともなかったかな。でも、石巻、仙台を舞台にしている本作のなかで、夏彦はある種自分の思い出の集大成のような存在です。映画では主演じゃないけれど、物語を託しているようなところがあります。自分のなかでは『キリエのうた』を撮りながら、夏彦の映画を撮っている感覚がありました」
松村「もともと(夏彦の物語が)独立した話だったというのは、最初にお会いした時に教えていただきました。頭のなかで主演を真ん中に置いた相関図のようなものを作ってしまう癖がついていたのですが、ハッとさせられました。登場するキャラクターそれぞれの、人生の真ん中には自分がいるわけで。夏彦の役割や立ち位置などを聞いて、自然にやっていた考え方を一度剥がすことができました」
――夏彦はとても難しい役だったのではないでしょうか。
岩井「本当に大変な役だと思っていたので、どんなふうに演じるんだろうと僕自身、楽しみでした。場面場面、瞬間瞬間で的確に寄り添ってくれている印象でした」
松村「夏彦の身に起こることはすごく大きな出来事ですし、経験していない人間が心底理解するのは、一生かかってもできないことだとも思いました。ただ、一瞬の迷いとか心の力みであれば、僕が経験したことのなかでもわかることがいくつもある。素直に台本と向き合って、目の前で起こることを感じながら演じました。僕には技術も知識も十分にはないので、どうしてもわからないことは、脚本を書き、すべてを知っている岩井さんに教えてもらって、埋めていくというやり方でした」
岩井「役との向き合い方がすごく前向きで、現場が本当に楽しかったんです。大変なシーンもたくさんあるし、繰り返し繰り返し同じシーンをやってもらうこともたくさんあって。だけど集中力を途切れさせずに、信じてやってくれている感じがありました。例えば、クライマックスシーンの撮影では天候の関係もあって必要以上に何度も撮影して、ちょっと拷問に近い感じだったよね(笑)。あのシーンでは一番いい映像を撮りたいという思いが強かったから、全然嫌がらないのはありがたかったけれど…」
松村「周りが『岩井さん、もう(十分)、もう(十分)』と言っていたのは覚えています(笑)。よく晴れた日の昼間から、日が落ちるまで同じシーンを撮り続けました。1カット目から『すごくすばらしい!本当に!』って言ってくださったあとに、『でも、いまの陽がさっきよりもこのシーンにマッチするんだよね』って。ふと空を見たら、確かに雲の具合とか光の差し方が時間が経つごとにどんどんよくなっているのがわかって。僕に見えていない部分、空ひとつをとってもこんなに大事なんだと納得できたし、なにより岩井さんが『さっきよりもいまが本当にいいんだよ』っていうと、もう1回やりたいと思えました。ただ、体力だけは…。どんどんヘロヘロになっていったのは覚えています(笑)。それも相まってよりシリアス(なシーン)になったのかなって感じました」
岩井「神が宿るようなシーンにしたくて、ちょっとこだわりました。ちょっとじゃなかったけれど(笑)」
松村「重要なシーンだからこそ不安も大きかったので、何回もやれたのは自分にとってはありがたいことでした」