名匠イ・チャンドンの並外れた才気がほとばしる “主人公の死”から始まる衝撃作『ペパーミント・キャンディー』
韓国にはポン・ジュノ、パク・チャヌク、ホン・サンスといった世界三大映画祭(カンヌ、ベルリン、ヴェネチア)で華々しい受賞歴を誇るフィルムメーカーたちがいるが、この人の名前を決して忘れてはならない。世界的な巨匠たるイ・チャンドンである。1997年の監督デビューから現在に至るまでの26年間のキャリアで、世に送り出した長編映画はわずか6本。同じ頃にデビューした上記の3人の監督と比べると明らかに寡作だが、イ監督が紡ぎ上げた6作品はヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞した『オアシス』(02)、カンヌで脚本賞を得た『ポエトリー アグネスの詩』(10)を始め、いずれも国内外で高く評価され、多くのファンに“繰り返し”鑑賞されている。なぜならテーマと作風の両面で深遠なまでに謎めき、観る者の想像力を刺激してやまない作品群は、ラストシーンを見届けた途端に、その映画をさかのぼって反芻したいという欲求をかき立てるからだ。
そんなイ監督の長編全6作品(すべて4Kレストア版)に加え、日本初公開のドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』(22)を一挙上映する画期的なレトロスペクティブが8月25日から開催される。『グリーンフィッシュ』(97)、『シークレット・サンシャイン』(07)、『ポエトリー アグネスの詩』のように配信サイトでは観られない作品もあり、イ監督の映像世界に心ゆくまで浸れる絶好の機会となる。
本記事では、長編デビュー作『グリーンフィッシュ』とほぼ同時期に日本公開され、イ監督の並外れた才気を鮮烈に印象づけた第2作『ペパーミント・キャンディー』(99)のレビューをお届けしたい。
『ペパーミント・キャンディー』は1999年の春、どこからともなく田舎の河原に現れた主人公の中年男キム・ヨンホ(ソル・ギョング)が、旧友たちの同窓会に飛び入り参加するところから始まる。ところが、スーツ姿で突然川に飛び込んだりするヨンホの挙動はどこかおかしい。そして、いつの間にか鉄道橋によじのぼって線路に仁王立ちしたヨンホは、「なぜ俺は……戻りたい……帰りたい!」と意味不明の叫び声を上げ、トンネルから向かってくる列車に身を投げ出してしまう。
“主人公の死”という衝撃的な導入部を経て、映画は過去へとさかのぼっていく。何らかの理由で生きる意味を失ったヨンホは、できることなら人生をやり直したいと願って前述の言葉を叫んだ。いったい彼の人生に何があったのか。つまり本作は、自死間際のヨンホの脳裏をよぎった彼の人生を映像化した時制逆行のタイムトラベル映画なのである。
とはいえ本作は、クリストファー・ノーラン監督の『メメント』(00)ほど複雑怪奇な構造ではない。ヨンホの壮絶な最期を描いた第1章「ピクニック」に続き、チャプターごとに曲がりくねった線路を走り行く列車視点のショットが挿入され、全7章の構成でヨンホがたどった約20年の軌跡が語られていく。