”居心地の悪い愛”を描く寡黙な名匠。『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』を堪能するためのキーワード|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
”居心地の悪い愛”を描く寡黙な名匠。『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』を堪能するためのキーワード

コラム

”居心地の悪い愛”を描く寡黙な名匠。『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』を堪能するためのキーワード

韓国はもちろん、世界的な現代映画作家の重要な一人に数えられるイ・チャンドン監督。彼の本格的な特集上映『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』が、 8月25日より、全国の劇場で開催中だ。イ・チャンドン監督自らがレストアを監修した全作品と、フランス人のアラン・マザール監督による新作ドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』(22)も初公開。

キャリア25年で長編6作品と寡作なためか、この機会に作品に出逢うという観客が多いのではないだろうか。今回は、特にこの機会での鑑賞をおすすめする作品と、彼の映画に込められたテーマを読み解くキーワードを挙げてみたい。

『グリーンフィッシュ』『ペパーミント・キャンディー』に描かれた”純粋”

イ・チャンドン監督のデビュー作『グリーンフィッシュ』(97)は、4人兄弟の末っ子マクトン(ハン・ソッキュ)が除隊し、故郷・イルサンへ帰るシーンから始まる。彼は列車内で助けたミエ(シム・ヘジン)の口利きで、地域を牛耳る裏組織のボスであるテゴン(ムン・ソングン)の手下になるが、「家族がみな一緒に暮らし、小さな食堂を開く」が将来の夢というマクトンはヤクザに向いていないようだ。本質が子供のようなテゴンはミエにひそかな恋心を抱くも、持ち出す話題と言えば、栄養ドリンクのパッケージに書かれた成分表をクイズ形式にしてふざけるくらい。それでも、愛人として心をすり減らしてきたミエは、マクトンに「本当に純粋ね」と愛おしそうにつぶやく。テゴンに心から愛されているわけでもないミエは、マクトンに触れることで自ら捨てたはずの純粋さを取り戻したような気持ちになったのかもしれない。

激変するソウルの都市空間を舞台にした喪失と希望の物語 『グリーンフィッシュ』
激変するソウルの都市空間を舞台にした喪失と希望の物語 『グリーンフィッシュ』[c]2005 CINEMA SERVICE CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED

しかし純粋なマクトンは、ゆえに酷薄な現実に打ちひしがれることになる。現実に対し冷徹なイ・チャンドン監督の映画には、純粋さとは必ず失われるものとして登場するからだ。


そうした純粋さへの手厳しさをさらに磨いたのが、続く『ペパーミント・キャンディー』(99)だった。本作の主人公、ヨンホ(ソル・ギョング)の冷酷さに、観客は全く共感できないだろう。しかしその後、映画は川をさかのぼるようにゆっくり時間を巻き戻していくと、彼の純粋さが失われ、彼がなぜ卑劣な人間に成り下がる悲劇的瞬間を目撃することになる。 1980年、軍事独裁政権に対し民主化要求のために蜂起した光州市民を武力鎮圧した光州事件を主軸に、ヨンホの20年を通して現代の韓国社会で人々が何をすり減らしていったのかを鮮やかに浮き彫りにしていく。

韓国の現代史とともに、ある男の20年を遡る『ペパーミント・キャンディー』
韓国の現代史とともに、ある男の20年を遡る『ペパーミント・キャンディー』

心が澄んでいるほど、一度わずかに汚れてしまったが最後、その清らかさは二度と取り返せない。純粋な季節は、人間にとって実につかの間なのだ。

『オアシス』に描かれた”愛”

今回の特集上映に先駆けて行われた先行試写会に登壇したイ・チャンドン監督は、自身の作品について「観客の皆さんは、居心地の悪さを感じる映画が多いと思う。それに打ち勝って、美しい気持ちを感じてくれたならうれしい」と話した。“居心地の悪い映画”の代表的な一本は、おそらく『オアシス』(02)なのではないか。

社会からはぐれた男女のささやかな愛を描く『オアシス』
社会からはぐれた男女のささやかな愛を描く『オアシス』[c]Everett Collection/AFLO

清掃員をひき逃げで死なせてしまい、服役していたジョンドゥ(ソル・ギョング)。家族の鼻つまみ者であるため、出所した彼を迎えにも来ない。彼が清掃員の家を訪ねると、脳性麻痺の娘コンジュ(ムン・ソリ)がいた。障がいのあるコンジュもまた、周囲から疎外されて生きていた。社会からはじき出された2人は、こうして出逢うことになる。

家族から疎外される厄介者ジョンドゥを演じきったソル・ギョング
家族から疎外される厄介者ジョンドゥを演じきったソル・ギョング[c]Everett Collection/AFLO

しかし、イ・チャンドン監督は観客を甘やかなラブストーリーに導かない。ジョンドゥは衝動的にコンジュを強姦しようとし、気絶させてしまう。短絡的で愚かな男だが、監督はあえて彼の行動に善悪の判断をつけない。そもそも『オアシス』には、理想的な人格者やマイノリティの理解者など登場しない。ハンディキャップを抱えているものの聡明なコンジュは、しばしば想像の世界を夢見る。彼女が空想する、白いハトや蝶が部屋を飛び交う美しい瞬間は、誰も見ることはできない。ジョンドゥとコンジュの愛の時間は、そんな周囲の無理解で残酷に引き裂かれてしまう。


劇中、ジョンドゥとコンジュの間の感情を、周りの誰も愛とは呼ばない。それでは、愛とは一体なんなのだろうか?『オアシス』における愛についての疑問は、簡単に答えが出るものではない。「理解されない愛であっても、あなたは誰かを愛するのか?」と、イ・チャンドン監督から問いを突きつけられているかのようだ。

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