「魔女の宅急便」原作者に密着『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』公開決定!

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「魔女の宅急便」原作者に密着『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』公開決定!

<コメント>

●角野栄子

「子どもの頃、戦争があった。大変窮屈な時代だったから、そこから解放された時、この自由な気分はもう絶対放したくない!と思った。戦後も食糧は非常に乏しく、なにもかもが足りなくて、我慢、我慢が続いた。でも、縛られていた糸がほどけるように、まわりの空気は変わっていった。そして、本当にささやかなことから、自分の好きなものを自分で選ぶ自由が手に入るようになった。例えば、手ぬぐいの模様、下駄の鼻緒など…。好みのものを初めて選ぶことができたときの嬉しさは、いまでも忘れられない。それが、『人と違ってもいいから、自分の「好き」を大切にする』という私のスタイルにつながっていった。そして、世の中に合わせるのではなく、『自分がなりたい大人になろう!』と決意した。時にはわがままに見えたかもしれない。時には孤独だった。でも、悔いはない。自由はかけがえのないものだから。私の暮らしの中で、一番大切にしているのは、気持ちが自由になること。食べるものも着るものも、シンプルで軽く、気持ちがいいもの。どこか気持ちが引っかかったら、できる限り避けたい。そう思いながら、自由で心地よいものを選び続けていたら、なんと『カラフルな魔女』になってしまったみたい」

●宮崎あおい(語り)

「ナレーションを担当させていただき、角野栄子さんの透明感とチャーミングなお人柄、カラフルなお洋服、楽しい視点にいつも幸せな気持ちになっていました。角野さんの観ている世界をぜひ劇場で覗いてみてください。いままで見ていた景色がちょっと違って見えるかも♪」

●宮川麻里奈(監督)

「20歳になる娘が言うのです。『「魔女の宅急便」がなかったら、私は思春期をうまく通過できなかったかも』と。主人公キキと同じ13歳ごろの、友人関係や自分自身のままならなさに悩む時期、娘にとって『魔女の宅急便』シリーズは、折に触れて読み返す、いわば精神安定剤のようなものだったそう。私はそんなことはつゆ知らず(苦笑)、あるインタビュー記事で角野さんのことを知り、『こんなおしゃれで素敵な人なんだ!』『1950年代にブラジルに移住しちゃうなんて、ぶっ飛んでる!』と驚き、『いつかこの人を取材したい』と思っていたのです。コロナ禍の間をぬいながら撮影を続けて4年。角野栄子さんは、とことん『愉快』―愉しく快い―方でした。好奇心旺盛で頭の回転が速く、そしてなによりも自由で。角野さんの精神の自由さ、のびやかさには、いまだに圧倒され続けています。角野さんの、なんでもない日常の1コマ1コマを生き生きとさせる『ありかた』、88歳にしてあふれんばかりの好奇心と冒険心は、おのずと、見る人に伝染すると確信しています。角野さんという、地球上見渡しても稀有な『魔女』にスクリーンで出会い、そのハッピーオーラを浴びてください」


文/スズキヒロシ

※宮崎あおい「崎」は「たつさき」が正式表記

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