「ドラえもん」初代担当編集者と直木賞作家・辻村深月がトークセッション!藤子・F・不二雄の“好き”にまつわるエピソードが明らかに
「ドラえもん」や「パーマン」「キテレツ大百科」など数々の国民的作品を生みだした藤子・F・不二雄の生誕90周年を祝し、関連作品の最新情報を一挙に解禁する「藤子・F・不二雄 生誕90周年 企画発表会」が10月4日に都内で開催。そのなかで「『好き』から生まれた 藤子・F・不二雄のまんが世界」と題したトークセッションが行われ、小学館の元編集者である河合常吉と小説家の辻村深月が登壇した。
「未来の国からはるばると」にイースターエッグが!
小学館の学習雑誌「小学四年生」の編集者として、1969年に連載がスタートした「ドラえもん」の初代担当編集を務めた河合。「私が最初にこの原稿を先生からいただいたのは、いまから54年前」と、1970年1月号に掲載された記念すべき第1話「未来の国からはるばると」にまつわるエピソードからトークがスタートする。
この回の最後のコマに描かれた電信柱には、河合の名前から取った「河合質店」という看板が描かれている。「いまになってみれば大変なことだとわかるのですが、実はこの原稿をいただいた時にはあまりピンと来ていなっかたんです」と振り返る河合。「当時24歳で入社してまだ一年目。漫画の打ち合わせの仕方もわからない人間の名前をこんなふうに入れてくださって。でもその時には、質店でなくて“河合医院”とかにしてくれと思ったのを覚えております(笑)」。
その話を受けて辻村は「このエピソードを伺った時に、藤子先生の人柄は1話から出ていたんだとグッときました。(河合のことが)可愛くてしかたがなかったんでしょうね」とコメント。すると河合は「『ドラえもん』が始まる5か月ほど前に、『ウメ星デンカ』という作品を前の担当者から引き継いで初めて先生とお会いしました。その頃に私の小学生の頃の昔話をして、先生はよろこんで聞いてくださった。それで最後のコマにこれを入れてくれたのだと感じています」と懐かしんだ。
一方、大の藤子・F・不二雄ファンを公言している辻村は、『映画ドラえもん のび太の月面探査記』(19)で映画脚本に初挑戦。当時のことを訊かれると「私にとっては聖書の続きが書けないのと同じで、そんなことをしてしまっていのかという気持ちもあり、一度お断りしました」と明かす。「だけどその時に気が付いたのは、『ドラえもん』の映画の歴史があって、『ドラえもん』を聖典だと思っている人たちが大事に繋いできたバトンが自分のところに来た。また次に繋げるお手伝いができたらという気持ちでお受けしました」と語る。
そしてこの日特報映像など最新情報が一挙に発表された「映画ドラえもん」第43作の『映画ドラえもん のび太の地球交響楽(ちきゅうシンフォニー)』(2024年3月1日公開)にも触れ「私が繋いだバトンがまた新たに引き継がれていき、来年3月に繋げることができた」と感慨深げな表情を見せる辻村は「『ドラえもん』の映画は春の風物詩。でもそれがあるのは決して当たり前のことではないんだと、脚本を書いた立場からは思うし、改めてやって良かったなと思っています」と「映画ドラえもん」への強い想いを述べた。