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「ドラえもん」初代担当編集者と直木賞作家・辻村深月がトークセッション!藤子・F・不二雄の“好き”にまつわるエピソードが明らかに

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「ドラえもん」初代担当編集者と直木賞作家・辻村深月がトークセッション!藤子・F・不二雄の“好き”にまつわるエピソードが明らかに

伝説の連載予告「出た!」誕生秘話が明かされる

今回のトークセッションは、11月1日から「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」で開催される企画展「藤子・F・不二雄 生誕90周年記念原画展 『好き』から生まれた 藤子・F・不二雄のまんが世界」と同じ題が冠されている。これは「僕はすべてにおいて“好き”であることを優先させてきました」という藤子の言葉にちなんだものだ。

辻村は「『ドラえもん』の大長編すべてにおいて、先生の“好き”が舞台から出ている」と、藤子のそのポリシーが作品に色濃く反映されていることを語る。「私が脚本をお受けした時に最初に苦しんだのもそこで、ドラえもんたちが行っていないところがない。藤子先生が描かれた舞台は、マンガのために調べられたものではなくて元々お好きだったものばかり。藤子・F・不二雄先生という人格のフィルターみたいなものを通して、才能という言葉では追いつかない“好き”が作られた世界なんだなと思います」と熱弁。

「小学四年生」の編集者として、「ドラえもん」の初代担当を務めた河合常吉
「小学四年生」の編集者として、「ドラえもん」の初代担当を務めた河合常吉

すると河合は、「先生がなにを好きだったんだろうかと考えてみて、まず一つは家族。奥様と娘さんたちのことを本当に愛していらっしゃった。第二に『ドラえもん』を描くこと、マンガを描くこと、お仕事をすること。それだけは本当に真剣な先生でした。第三は、人をびっくりさせること。これはトキワ荘の方々、赤塚不二夫先生なんかも、イタズラを仕掛けられてびっくりすることが多かったと昔お話を聞いたことがあります」と振り返る。

「そして私が言いたいのは、ハンバーグライスです。先生と打ち合わせをしていて食事に行くことがあったのですが、行った先のお店で先生に『なにをお食べになりますか?』と訊くと、決まってハンバーグライス。メニューには他にも美味しそうなものがいっぱいあるのに、先生は絶対にハンバーグライス。しょうがないですから『ハンバーグライスふたつとビールを一本ください』というのがいつものパターンでした」と、藤子との思い出話を披露した。

【写真を見る】「上司から厳しく怒られました」ドラえもん不在の伝説的な連載予告とは
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トーク終盤では、いまや伝説ともなっている「ドラえもん」の連載予告にまつわるエピソードも明らかに。「先生からいただいた原稿には、驚いている男の子と吹き出しと机だけ。私はその周辺のデザインをやって、『出た!』の文字も自分で鉛筆でデザインして描きました」と明かす河合。「これを作っている時には上司から厳しく怒られまして、『タイトルはなんなんだ?』『主人公は誰だ?』『なんだこの「出た!」ってのは』『よくこんな予告受け取ってきたな』と言われましたが、いまにして思えばすばらしい出来ですよね」。


そうしてスタートした「ドラえもん」が、50年以上経ったいまでも世代を超えて愛され続けていることについて河合は「本当にうれしいなと思います」と顔を綻ばせる。「連載が始まってもなかなか人気は出ませんでした。当時はアポロ11号が月面に着陸したとか、翌年には大阪万博などイベントが目白押しの時代で、そんななかで地味にスタートした『ドラえもん』が、こうやって長いあいだ支えられて、これだけ大きく育てていただいた。本当に先生も喜んでいらっしゃると思います」と、しみじみとした表情を浮かべていた。

取材・文/久保田 和馬

※河合常吉の「吉」は「つちよし」が正式表記

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