池松壮亮&高橋和也、お互いの存在から受けた刺激「高橋さんのお芝居がとても好き」「才能に脅威を感じた」
「この世界には、映画や音楽で埋められる間がある」(池松)、「夢とは追いかけて、破れるもの」(高橋)
――ジャズピアニストとしての未来に夢を見る“博”と、夢を見失っている“南”を通して、自分は夢に向かってどのように歩んできたのか、いったいどこに行き着いたのかと考える人も多いと思います。お2人は、本作を通して夢について考えたことはありますか?
池松「人生というものは、破壊の時期もあれば、創造の時期もあります。まるで宇宙の法則のようにそれを繰り返しているものだとも思っています。本作は、夢を追い続けることや、夢をこうして叶えました、あるいは夢を持とうよというような教訓めいた映画ではなく、現実と夢、あるいは現実と理想という人の営みのなかで必ず起こるもの。いつだって人生というのはままならないもので、そういった人生の不完全性を受け入れたうえでまたピアノを鳴らし始めるということに、この映画の真の意味があるような気がしています。そして私たちには“映画がある”と思ってもらうこと。コロナや今なお続く戦争、世界が大きな転換点を迎えている今、“この世界には、映画や音楽で埋められる間がある”ということを感じてもらえたら、心から幸せです」
高橋「夢って、追いかけて、破れるものじゃないですか。そして『人生なんてクソだ!』と絶望するところから、もう1回、諦めずに、自分は夢に向かって情熱を燃やし続けられるのかと考える。それってとても難しいことだけれど、それでいてとても楽しいことですよね。ぶっ倒れてもいい。廃人のようになってもいい。夢が破れても、地獄の底に突き落とされても、まだなにかを探して、夢想できるというのは、人間のすばらしいところだと思うんです。こんなにぐしゃぐしゃな世の中で、訳のわからないことが毎日起こるなかでも、『自分はまだ、なにかに向かって挑み続けられる』という気持ちがあること。それが僕にとっての夢です」
――博にとって、大学時代のピアノの恩師、宅見先生(佐野史郎)はとても大事な存在です。お2人にとって「この人のことを思いだすと励まされる」「この言葉に支えられた」と感じるような存在、ご経験がありましたら教えてください。
高橋「僕の身の回りには、長い間この業界で生きてきて、無名のまま亡くなっていった先輩たちもたくさんいます。その人たちの存在は、いまだに自分を励まし続けてくれています。彼が遺した音楽、彼が遺したパフォーマンスなど、僕の記憶のなかではしっかりと生きています。ありがたいことに、そうやって自分を励ましてくれるすばらしいミュージシャン、俳優の先輩がたくさんいます」
池松「すばらしいですね。僕もたくさんそういった人たちがいます。僕が一番思い出すのは、15歳の時に亡くなった祖父のことかもしれません。亡くなる前に病室で何度も何度も、当時公開を控えていた僕が出演する映画のタイトルを口にして、はやく観たいと言ってくれました。『それを観るまでは死ねん』と楽しみに待ってくれていましたが、結局それを最後に亡くなってしまいました。おじいちゃんのことを思い出すと、励まされるような想いがします」
取材・文/成田おり枝