マーティン・スコセッシ監督が語る、最新作の脚本が大きく変わった理由「丹念に描くことで“人間”があぶり出される」
様々な価値観にスポットが当たり、これまで闇に葬られていた事件も白日の下に晒される。ダイバーシティが叫ばれている昨今のハリウッドではあらゆる検証が行われ、これまでタブー視されていた題材を基に野心的、挑戦的な作品が数多く生みだされている。そんななか、10月20日(金)に公開されるのが、マーティン・スコセッシ監督の最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』だ。
1920年代のアメリカ、オクラホマ州。この地で石油が採掘され、ネイティブ・アメリカンのオセージ族はその権利を手に入れ裕福になった。が、それが悲劇を招くことにもなったのだ。
実際に起きたその“悲劇”のルポルタージュしたのは、『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』(16)として映画化もされた「ロスト・シティZ」などの著名なジャーナリスト、デヴィッド・グラン。スコセッシ監督はその同名ノンフィクションに感銘を受け、映画化に踏み切った。
「ある意味、パンデミックがすべてを変えたと言える」
「原作を読んだのは『アイリッシュマン』の制作に入るころでした。当時、オクラホマ州で制定されていたオセージ族に対する規則に興味を覚えたんです。彼らは運よく裕福になり、石油の受益権は一族の女性に行くことになっていました。そこに現われたのが白人男性だったんです。オセージ族の女性たちと結婚して財産を巻き上げようとし始めました。それは紛れもない政略結婚だったわけですが、果たしてすべての結婚がそうだったのだろうか?私はそう考えたんです」。
そこで起きるのが謎の連続殺人事件。裕福なオセージ族の女性たちが次々と殺されたのだ。グランの原作ではFBIの捜査官トム・ホワイトがその謎を解いていくミステリー仕立てになっている。
「最初は私も原作どおりにするつもりでした。共同で脚本を執筆したエリック・ロス(『フォレスト・ガンプ 一期一会』でアカデミー脚色賞を受賞)と、当時のオクラホマで起きたその事件を原作に準じて外側から、ホワイトの視点から描くつもりだったんです」。
しかし、できあがった映画の主人公は、白人男性アーネスト(レオナルド・ディカプリオ)と、彼が結婚したオセージ族の裕福な女性モリー(リリー・グラッドストーン)。ホワイトが登場するのは後半になってからで、事件の犯人もすぐに明かされる。原作は社会派サスペンス、映画版は社会派ドラマとジャンルすら変わっているのだ。
「ある意味、パンデミックがすべてを変えたと言えます。脚本には2年以上をかけましたが、どうもしっくりこなくて。そんな時にパンデミックが起こり、レオと脚本について再び話し合いました。彼は私に、『物語の感情の核心はどこにあるんだい?』って言ってきました。私の答えは『核心はアーネストとモリーの関係にある』でした。それが描ければ、外側の視点ではなく内側から事件を描くことができると確信し、脚本を変更したんです」。
そうすることによって、ディカプリオの役もホワイトからアーネストへと移り、モリーとの関係性がじっくりと描かれることになった。
「そこで大きな問題となるのは、アーネストとモリーは本当に愛し合っていたのか?ということ。アーネストは事件の真相について知っていたのか?あるいは真実を知っていて、それを認めようとしなかったのか?それらを丹念に描くことで“人間”があぶり出されるんです」。
そのなかで大きな役割を果たすのがロバート・デ・ニーロ扮するウィリアム・ヘイルこと通称「キング」。アーネストの叔父にあたる。オセージ族と親密な関係を築いている裕福な善人なのだが、叔父を頼ってオクラホマにやってきたアーネストに、さりげなく、しかし強制的にモリーとの結婚を勧める。
「キングはいまの時代にもいる政治家のような男です。自分だけは法の適用を受けないと信じているようなヤツ。おそらく、彼がオセージ族に優しく接したのは本心からだと思います。しかし、その反面、オセージ族が死に絶えるのは定めのようなものだという確信も持っていました。モノの見方が狭量だから、ほかの文化や文明からなにかを学び取れる、などとはまるで考えないんですよ。本作は1920年代のオクラホマが舞台。しかし、そういう問題はいつの時代も繰り返し頭をもたげています。だから私たちは、そういうことが起きないように常に目をこらしておく必要があるのです」。