信長に反旗を翻し、一族郎党皆殺しにあった愚将…『首』の最重要人物、荒木村重とは?
本日、11月23日より公開となった北野武監督の最新作『首』。本作で遠藤憲一が演じている人物が荒木村重だ。織田信長や羽柴(豊臣)秀吉、武田信玄などと比べるとメジャーな戦国武将ではないが、村重は信長を語るうえで欠かすことのできない重要人物の一人。なにしろ彼は、信長の家臣でありながら、天正6年(1578年)10月に摂津の居城、有岡城で突如として信長に反旗を翻し謀反に失敗すると、一人だけさっさと姿をくらましてしまったヤバい奴。残された一族郎党が信長によって皆殺しにされたというのに、当人は天正14年(1586年)5月4日まで「道薫」や「道糞」を名乗る詩人としてのうのうと生き延びたために、悪いイメージだけが歴史に刻まれてしまった印象がある。
信長の信頼を得た猛将から世紀の謀反人に…。荒木村重にまつわるミステリー
だが、実際の村重は本当に愚将だったのだろうか?いや、そんなことはないだろう。もし愚将だったとしたら、信長が家臣にするはずがないし、「槇島城の戦い」(元亀4年/1573年)では実際に信長軍の一員として戦い、足利義昭と池田知正の軍を撃破。池田氏の最後の守護だった伊丹忠親も倒すと、信長から摂津の全支配権を与えられ、天正2年(1574年)には伊丹城を攻略。有岡城に改名して自らの居城にしたあとも、「越後一向一揆」「石山合戦」「紀州征伐」などでも大活躍を見せ、信長からも一目を置かれていた。
その目覚ましい戦果が逆に周りの妬みを生み、信長には脅威になったのかもしれない。諸説あるし、本当のことはもちろん知るよしもないが、「村重が信長を裏切ろうとしている」という噂がやがてどこからともなく流れ、噂を否定しに信長のもとを訪れたら処刑されると思い込んだ村重が、しかたなく牙を剥かざるを得なくなったのではないか?説得しに行った旧知の黒田官兵衛を村重が伊丹城内に監禁した事実が、そんな追い込まれた豪将の切羽詰まった状況を物語っている。
村重がその余生をどんな思いで過ごしたのかまでは、もはや誰にもわからない。だが、ボタンのかけ違い、間違った選択によって優秀な家臣から堕ちた偶像に成り下がった典型的なパターンだったのではないだろうか。