“ホラー映画の帝王”ダリオ・アルジェントが明かす、80代で映画初主演の理由「二度と俳優になることはない」
『アレックス』(02)、『エンター・ザ・ボイド』(09)、『CLIMAX クライマックス』(18)など、新作を発表するたびに世界中を挑発し続けてきた鬼才ギャスパー・ノエ監督が、“人はどう死んでいくのか?”というテーマに真正面から向き合った『VORTEX ヴォルテックス』(12月8日公開)。
本作は『サスペリア』(79)などで知られる映画監督のダリオ・アルジェントが主演を務めたことでも大きな話題を集めているが、なぜ“ホラー映画の帝王”は演技に挑戦することにしたのだろうか?アルジェントが出演を決めた経緯を、彼の談話やノエ監督との対談インタビューからたどっていこう。
映画評論家である夫(アルジェント)と、元精神科医で認知症を患う妻(フランソワーズ・ルブラン)。離れて暮らす息子(アレックス・ルッツ)は、2人を心配しながらも金銭の援助を相談するために家を訪れる。心臓に持病を抱える夫は、日に日に重くなる妻の認知症に悩まされ、やがて日常生活に支障をきたすようになる。そして、2人に人生最期の時が近付くことに。
現在83歳のアルジェントだが、本作の撮影時にはすでに80歳を超えていたそう。過去には自らメガホンをとった『サスペリア』や『フェノミナ』(85)、『オペラ座・血の喝采』(87)でナレーターを、はたまた『サスペリア PART2』(75)や『シャドー』(82)では“手”だけの出演を務めたこともあるが、俳優として堂々と主演を張ることはもちろん、本格的な演技に挑戦すること自体が今回が初めて。新たな挑戦に踏み出すきっかけとなったのは、かねてから親交のあったノエ監督からの直々のオファーだったという。
「ある時、彼は私のためにこの映画を書いたのだと言って出演を懇願してきました。その後、ギャスパーがローマまで会いにきてくれた際、彼の『LOVE 3D』を朝10時から観ました。その時は正直に言って、大きな疑問を感じました。彼は私になにをさせる気なのだろうかと。だが、最終的に娘のアーシアが私を説得してくれました。私は自分の意志のすべてを、体力のすべてを、そして自分の存在のすべてをこの作品に注ぎ込みました」。
撮影現場ではフランス語で演技をこなさなければならず、妻役のフランソワーズ・ルブランや息子役のアレックス・ルッツと即興演技で進めていくことも多かったようで、アルジェントにとっては苦労の連続だったようだ。「これはギャスパーにとって非常に感動的でパーソナルな物語。彼が監督した作品のなかでも最も重要な映画かもしれないし、私自身も今回の経験にはとても満足しています」と語りつつも、「でも二度と俳優になることはないだろう…」とぽつり。
アルジェントとノエ監督の出会いは30年以上前に遡るという。今回独占入手した2人のオンライン対談インタビューによれば、それはノエ監督が出世作となった短編『カルネ』(91)を出品した、1991年の秋のトロント国際映画祭でのこと。脚本と製作を務めたミケーレ・ソアヴィ監督の『デモンズ4』(91)が同映画祭に出品されていたアルジェントは、期間中に『カルネ』を鑑賞したのだという。「『カルネ』を観て、私はすばらしいと感じました。それ以来、私たちは大親友になりました」とアルジェントは振り返る。
さらに「彼のスタイルや描く世界というものは大好きになるか大嫌いになるのかのどちらかだと思いますが、私はギャスパーの作品は全部大好きです」とベタ褒め。一方でノエ監督の方も「『歓びの毒牙(きば)』や『サスペリア PART2』、あと最近の『ダークグラス』も好きです。私の趣味に合っている。いまでも時を越えるだけの作品を作っているダリオが、『VOLTEX ヴォルテックス』に出演してくれてとても光栄に思います」と敬意を表した。
これを逃したらもう二度と観る機会がないかもしれない、主役としてスクリーン上で演技をしている“俳優アルジェント”の姿。彼の渾身の演技に注目しながら、ノエ監督の新境地をその目に焼き付けてほしい。
文/久保田 和馬