藤井道人監督がミューズ・清原果耶に託した”理想のヒロイン”「アミには僕自身の憧れを投影している」
「演じる役柄について考えることこそ役者の仕事における一番のやりがい」(清原)
――資料によれば、監督と清原さんの意見が2か所ほど食い違ったところがあったそうですが。
清原「そうそう!私も『どこのことを言ってるんだろう?』と気になっていたんです」
――監督は、具体的にどんなシーンだったのか覚えていらっしゃいますか?
藤井「えっ!?食い違ったところはなかった気がするけど。ああ、しいて言うなら確か、カラオケのメンバーたちが一緒に食事したあとに、アミがジミーにバイクに乗せてもらうシーンの前の段取りで、『アミは酔いつぶれて寝ているカラオケの店長たちをそのまま置いてまでデートに行ってしまう子なのか?』みたいな話になった気がする…」
清原「ああ、はい。確かに、そういうやりとりはありました。『お金の支払いもあるし、店長をこのままほったらかしにして私たちだけ先にお店を出ちゃっていいの?』って」
藤井「そういうことを果耶ちゃんが言ってくれて、『あ、確かに!』となって、結局ジミーが店員さんに『スミマセン』みたいな感じで、軽く言ってくれたんじゃなかったかな。正直、僕としてはそこについてはまったく考えてなかったんだけど、もしあの時あそこで果耶ちゃんがそういう指摘をしてくれなかったら、アミはもっと気遣いができない子に見えていたかもしれない。僕のデリカシーのなさに起因するやりとりだったように思いますね」
――演じている清原さんは、脚本を書かれた監督以上にアミのことを知っている、と。
藤井「そうです。そこは必然的にそうなりますよね。僕としては『きっとそうであるはず』という感情の流れや身体の動きを設計図として提案することはできるけど、現場で感情を宿すのは生身で演じている俳優さんなので。そこに対する信頼感が僕のなかにありますね」
清原「演じる役柄について考えることこそ役者の仕事における一番のやりがいというか。一番楽しい時間でもあるんです。しかも藤井組では、みんなでその役柄の一生を思い描きながら撮影できるので、監督やスタッフさんたちの意見に耳を傾けながら、私なりにその子のことをとことんまで考え抜いて、身体の中にしっかりと主軸を立てておく。そこが私の頑張りどころだな、と思います」
「台湾で目にしたモノやコト、出会った人たちに対して抱いたリスペクトの気持ちを忘れずに」(清原)
――非常に興味深いお話ですね。では、改めて「藤井組」初の国際プロジェクトであり、3度目のタッグとなった本作を振り返ってみて、お2人はそれぞれどう感じていますか?
藤井「僕のなかでは、個人的な想いと、社会的な位置づけに対する想いとの二層に分かれているんです。まずは、『僕自身のルーツである台湾で映画を撮る』という、20代のころからの自分自身の目標が達成できたことに対する安堵感。そしてもう一つは、いまこの時代に、旅をテーマにした映画を撮るうえでの社会的意義のようなもの。というのも先日改めてこの映画の企画書を読み直してみたところ、『会いたくても会えない人がたくさんいるこのいまだからこそ』という言葉が目に留まったんです。コロナ禍になり、『会いたい人に会いに行けない』『行きたい場所にも行けない』というもどかしい想いを、世界中の多くの人々が同時に経験したからこそ、『人が旅をする』ということがこれまで以上に大きな意味を持つようになった。そんないまだからこそ、僕らはロードムービーを世界中の人たちに届けたい。そういった想いを、“青春にサヨナラを告げる”36歳の主人公ジミーとアミの物語に重ねながら映画を作れていたんだとしたら、それはとても幸いなことだと思いましたね」
――なるほど。清原さんはいかがですか?
清原「私にとっては、藤井監督とこうしてまた一緒に作品を作れたこと自体がうれしくて、非常に喜ばしいことなんですが、今回はそこにさらに“国際プロジェクト”という新たな挑戦が加わったことで、台湾の方々とも現場を共にできたうえに、そこでの思い出をちゃんと映画という形に残せたことも、本当にありがたいことだなと感じています。私の人生においても多くの学びがある作品でしたし、撮影中に台湾で目にしたいろいろなモノやコト、出会った人たちに対して抱いたリスペクトの気持ちを忘れずに、これからも役者として精一杯頑張っていきたいと思いました」
藤井「(しみじみと)いや…果耶ちゃん。立派な大人になったなあ。15歳のころから知ってるし、役への取り組み方や、俳優としての変遷みたいなものは見てきたつもりだったけど…」
清原「『大人になった』って言われちゃった(笑)。私、いまアミと同い年ですから!」
藤井「そうか…。アミと同い年か。じゃあ、僕の“4つ上のお姉さん”ってことですね(笑)」
取材・文/渡邊玲子