巨星墜つ。“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンの死去にデ・ニーロ、カーペンターら追悼
約70年のキャリアでホラーやSFなどのジャンル映画からエクスプロイテーション映画、海外のジャンル映画のアメリカナイズ版など400本以上の映画をプロデュースし、自らも50本以上の作品で監督を務めた“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンが5月9日、98歳でこの世を去った。映画界に多大な功績を残した巨星の死に、多くの映画人たちが追悼の言葉を贈っている。
1953年に映画界入りをし、低予算とスピード重視の作品づくりで数々のカルト的人気作を世に送りだしてきたコーマン。第82回アカデミー賞では名誉賞が贈られた彼のもう一つの代名詞といえるのは、才能ある若手映画人たちの発掘。コーマンが創業したニューワールド・ピクチャーズでの雑用スタッフからキャリアをスタートさせたジェームズ・キャメロンをはじめ、のちにハリウッドを牽引する多くの映画人たちがコーマンのもとから巣立っていった。
海外作品の改変版の監督に抜擢されたあと、『ディメンシャ13』(63)で監督デビューを果たしたフランシス・フォード・コッポラを筆頭に、『明日に処刑を…』(72)ではマーティン・スコセッシを、『殺人者はライフルを持っている!』(68)ではピーター・ボグダノヴィッチを、『女刑務所 白昼の暴動』(74)ではジョナサン・デミを輩出。彼らのその後の映画監督としての活躍ぶりについては誰もが知るところだろう。
子役として活躍したのち、『バニシング in TURBO』(77)で監督デビューの機会を授けられたロン・ハワードもその一人。ハワードはこのたびの訃報に際し、自身のSNSで「彼は偉大な映画製作者であり指導者でした」と思いを綴り、「23歳の時、彼は私にチャンスを与えてくれました。多くの人々のキャリアをスタートさせ、映画業界をリードしてきました」と、師匠への哀悼の意を表明。
また『ハリウッド・ブルバード』(76)で監督デビューし、『ピラニア』(78)で注目を集めたジョー・ダンテは、「Trailers from Hell.com」に追悼文を寄稿。「ほかの方法では得られなかったであろうキャリアと、共に映画を作るうえで学んだ教訓に永遠に感謝することでしょう。彼はこれまでハリウッドから現れたなかでもっとも賢く誠実な人物。私にとってロジャーとの友情は宝物です」と綴っている。ダンテは先日、監督復帰作としてコーマンの代表作の一つ『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(60)のリブート映画の監督を務めることが報じられたばかり。同作ではコーマンも製作に加わり45年以上ぶりの師弟タッグが実現する予定だった。
映画監督以外にも、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』ではジャック・ニコルソン、『デス・レース2000年』(75)ではシルヴェスター・スタローンと、のちの名優たちが駆け出し時代にコーマンの手掛ける作品に出演していたということも、彼が“伝説”となった謂れの一つ。『血まみれギャングママ』(70)に出演し、その後ハリウッドを代表する名優へと上りつめたロバート・デ・ニーロは「The Hollywood Reporter」に対し、「ロジャーの訃報を聞いてとても残念に思います。彼は何年にもわたり、多くの映画人を育ててくれました。伝説の人です。彼が安らかに眠れますように」とコメントを寄せている。
またジョン・カーペンターは自身のSNSで「彼は私の人生でもっとも影響力のある映画作家の一人で、彼と知り合えたことは光栄なことでした。本当にすばらしい友人でした」と投稿し、ギレルモ・デル・トロも「ミスター・コーマンは現代アメリカ映画界に対し、同時代の誰よりも貢献しました。彼は支柱であり、とてもまっすぐな映画愛好家でした」と、名だたる映画監督たちが次々と哀悼の意を表明。
コーマン作品から多大な影響を受けた作家の一人であるロバート・ロドリゲスは「映画製作者としてもビジネスマンとしても、彼は私に大いなるインスピレーションを与えてくれました。我々の世代の多くは、自身のスタジオで作品を生みだしながらほかの映画人たちに影響を与える彼の姿から多くのことを学びました」とSNSに綴り、2018年のオースティン映画祭でお気に入りのコーマン作品だという『ごろつき酒場』(57)の上映時に対談した思い出を振り返っている。
ほかにも、スティーヴン・スピルバーグと共にアンブリン・エンターテインメントを立ち上げたフランク・マーシャルからは「彼はすばらしく才能のあるプロデューサーでした。心からご冥福をお祈りいたします」と、「ターミネーター」シリーズのゲイル・アン・ハードは「彼は最初の上司であり生涯の師、そして私のヒーローでした」と、同業者からの投稿も相次いでいる。
映画の黄金時代と呼ばれた1950年代から現代に至るまで、長きにわたってハリウッドの映画界を影から支えてきた立役者であり、晩年まで精力的に自らのポリシーを貫く映画人であり続けたロジャー・コーマン。彼の遺産は今後の映画界に永遠に残りつづけることだろう。
文/久保田 和馬