福士蒼汰×松本まりかが『湖の女たち』で辿り着いた、役者としての新境地。「自我から開放され、ゾーンに入るような感覚」
「佳代の心情に近づくためには、ある種の極限状態を疑似体験する必要があったんです」(松本)
――松本さんは、佳代を演じるうえで「自分と向き合い続けて壊れそうになったこともあった」とコメントされていましたが、具体的にどんな状態だったんですか?
福士「本当にすごかったです。役者としての覚悟を感じました」
松本「圭介という存在を目の前にして、死を感じるほどの恐怖と、得も言われぬほどの欲望が同時に湧き起こっていく感覚というのは、ある種の極限状態なわけですよ。そんな佳代の心情に近づくためには、本当は甘えたいのに甘えられず、ともすれば、疑心暗鬼に陥ってしまうような状態を、自分から率先して生み出すことで、疑似体験する必要があったんです。だから、あの現場の最中に、誰かと一緒にご飯を食べに行くなんて、私は考えもしなかった」
福士「実は、僕と監督や浅野さんと食事に行っていたのですが、先程の会見で松本さんが驚かれていて (笑)」
松本「1か月以上、みんなで現地に滞在しながら撮影していたんですが、私だけ別の宿で隔離されたようなところにしてもらって、ずっと1人でいたんです。発散できる場所を一切作らなかったから、本当にはち切れる寸前の状態になっていました…。でも一方で、“答えが出ない”というその状態こそが、イコール佳代でもあるわけだから、“わからない”ストレスはありましたけど、『佳代と一緒だぞ、よしよし』とも思っていたんです」
――つまり、極限状態ではありながら、俯瞰して客観視できている自分もいたということですね。そんな松本さんを目の当たりして、福士さんはどんなことを感じていたんですか?
松本「それは、私も気になるかも」
福士「悩んでいる、苦しんでいる松本さんを見れば見るほど、まさに“佳代”のようだと感じました。監督に相談してもはっきりした答えがもらえるわけではないので、ずっと堂々巡りをしているような状況だったんです。あの時の松本さんは、もう全身から“佳代らしさ”が溢れ出ていたような気がするんですよね。大森さんの演出下においては、皆そうなってしまうんだと思います」
「自分の意思では動いていないような感覚でした」(福士)
――役者の方にしかわからない、“役者の境地”みたいなものがあるのではないか、と勝手に想像してみたりもするのですが、お2人は演じながらどんなことを感じているのでしょう?
松本「そんな特別なものじゃないですよ。福士くんがどうだったかはわからないけれど」
福士「しいて言うなら、サウナや瞑想で感じるような、“ゾーンに入る感覚”に近いのかなと思います。あれを一度でも経験したことがある人なら、伝わるかもしれない。自分の意思では動いていないというか」
松本「確かに。身体が勝手に動くところまでもっていかないと、辿り着けない境地かもね。あとは、“全集中”!」
福士「ハハハ(笑)。“水の呼吸”ならぬ、“湖の呼吸”ですね!」
松本「そう!全集中する感覚っていうのは、なにかに夢中になることと同義だと思うんだけど、没頭しているとおのずと自我から解放されて、なにかに突き動かされているような不思議な感覚になるんです。きっと演技においてもそうなっている状態が、1番いいお芝居ができている気がしていて。もちろん作品のテイストや演じる役によっても、全然違うんですが」