「杏の人生に思いを馳せてくれたらうれしい」入江悠監督&河合優実が覚悟を持って挑んだ『あんのこと』

インタビュー

「杏の人生に思いを馳せてくれたらうれしい」入江悠監督&河合優実が覚悟を持って挑んだ『あんのこと』

2019年のデビュー以来、数々の映画賞に輝き、ドラマ「不適切にもほどがある!」ではお茶の間にもその名を轟かせるなど、いまもっとも注目の俳優の1人となった河合優実。映画『あんのこと』(6月7日公開)では、幅広いジャンルの作品を手がけ、社会の片隅で必死に生きる人を見つめてきた入江悠監督とのタッグが実現。実在の女性をモデルに、虐待の末に薬物に溺れながらも、更生の道を歩み始めた矢先にコロナ禍によって運命を変えられていく主人公、杏の苦悩、そして彼女の生きようとするエネルギーまでを鮮やかに体現し、観る者の心を奪う。壮絶な人生を辿った女性の人生を映画化するうえで覚悟したことや、本作を通して感じた映画の力について、入江監督と河合が語り合った。

「いつもの河合さんとはまったく違う姿になっていた」(入江)

過酷な人生を送ってきた杏。河合優実が彼女の苦悩や生きるエネルギーまでを体現した
過酷な人生を送ってきた杏。河合優実が彼女の苦悩や生きるエネルギーまでを体現した[c] 2023 『あんのこと』製作委員会

2020年の日本で現実に起きた事件をモチーフに、「SRサイタマノラッパー」シリーズや『AI崩壊』(20)の入江監督が映像化した本作。主人公となるのは、幼いころから母親に暴力を振るわれ、10代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた21歳の杏。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は多々羅(佐藤二朗)という変わった刑事や、週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)と出会い、次第に更生の道を開いていくが、ちょうどそのころ出現した新型コロナウイルスによって、手にした居場所や人とのつながりを奪われてしまう。

――映画の冒頭から、どれほど壮絶な人生を歩んできたのだろうかと思わせる主人公、杏の表情や佇まいに釘付けになります。杏という女性は、演じるには過酷な役柄だとも想像しますが、脚本を読んで河合さんは、モデルとなった女性のことを「守りたい」と感じたとのこと。それはどのような理由からだったのでしょうか。

【写真を見る】いまもっとも注目の俳優、河合優実!クールな眼差しも印象的な撮り下ろしカット
【写真を見る】いまもっとも注目の俳優、河合優実!クールな眼差しも印象的な撮り下ろしカット撮影/河内彩

河合「杏のモデルとなった女性が“実際にいた”ということが、私のなかでとても大きなことでした。これを映画にするということは、かなり覚悟がいることだなと思いました。やはりいまはいなくなってしまっている人について描くので、『こういうことはしてほしくない』『やってはいけない』ということを話すこともできないため、彼女の意志や尊厳を守れない可能性もある。だからこそ強く、『彼女を守りたい』と感じたんだと思います。その矛盾を胸に刻んだうえで、彼女に『大丈夫だよ』と語りかけたくなりました」

――入江監督も、実話を基に描くうえで大きな責任を感じましたか。

入江「脚本作りを始めて、『自分にとって実話を基に映画を作るのは初めてだ』と突然気がついて。そこから急に、緊張し始めましたね。『僕がこれだけプレッシャーを感じているということは、河合さんもそう感じるはずだ』と思いました。稲垣吾郎さんが演じた新聞記者のモデルになった方にはお会いすることができたのですが、やはり映画って、一方的に見え方を押し付けてしまうものでもあるので、どれだけ多面的に描こうと思ってもこぼれてしまうこともある。ご本人に失礼なことがあってはいけないというプレッシャーや恐さは、かなり感じていました」

――入江監督は、脚本の準備稿と一緒に河合さんにお手紙を託されたそうです。どのような想いで、杏という役を河合さんにお任せしたのでしょうか。

入江「今回は撮影前、撮影中も、すべての答えを探しながら、みんなが手探りで進んでいくという感じでしたが、杏に関しては僕よりも河合さんのほうが年齢も近いし、おそらく彼女のことを深くわかってくれるはずだと思っていました。撮影前のカメラテストのタイミングで『大丈夫だな』という感じもあって。その時点で、いつもの河合さんとはまったく違う姿になっていた。このまま答えを急がずに、一歩ずつ歩いて行けば、最後まで辿り着けるのではないだろうかと感じました」

杏は幼いころから母親に暴力を振るわれ、10代半ばから売春を強いられていた
杏は幼いころから母親に暴力を振るわれ、10代半ばから売春を強いられていた[c] 2023 『あんのこと』製作委員会

――演じるうえで河合さんは、モデルとなった女性を知る記者の方に取材をしたとのこと。もっともヒントになったのはどのようなことでしたか。

河合「かなり長い時間、お話を伺いました。一番印象に残っているのは、『彼女のことを思いだした時に、パッと出てくるイメージはどのようなものですか?』と尋ねた際、『いつもニコニコと笑っていて、恥ずかしがって大人の影に隠れてしまうような、幼い女の子のような印象が強いです』とおっしゃっていたことです。また入江監督とお話をして、『杏を“かわいそうな人”という目線では描かない』と共有できたことも、大きな指針になりました。『こういう人物にしよう』『この答えに向かっていくんだ』と着地点を決めるのではなく、とにかくその指針を基に『一生懸命にやろう』と思い、監督をはじめとする皆さんで手を携えながら、いろいろな可能性を探っていくような時間でした。彼女が歩いている姿、座っている姿、こういう文字を書く、食べ方はどうだろう…と杏の日常的な動作を自分の身体を通していろいろとやってみて、少しずつ杏という女性が立ち上がってきた感覚だったように思います」


――答えや着地点を決めずに映画作りをするというのは、監督にとっても新たなご経験だったのではないでしょうか。

入江「そうですね。自分が頭のなかで作ったキャラクターであれば、最終的なゴールをある程度想定できるのですが、本作の場合は、どこで終わるかということは定めなくていいなと感じていました。そういった意味だと、不安もたくさんありました。ただ最後を決めないことによって、自分としてはこれまでとは違う発見もいっぱいあって。ひたすら主人公に寄り添い、彼女はなにを思っているんだろうと考えて映画に打ち込んでいる時間は、監督としてとても幸せな瞬間だったなと思います。重くてつらいシーンもたくさんありますが、1人の人生に寄り添うということは、こんなにも充実した時間になるんだということがわかりました」

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