『Cloud クラウド』黒沢清が語る、”ジャンル映画”と添い遂げる覚悟。“作家”ではなく“職人”であると自認する、その理由【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
全編フランスロケでの『蛇の道』(98)のセルフリメイク、観る者を恐怖で凍りつかせる中編作品『Chime』(公開中)、そして主演に菅田将暉を迎えた『Cloud クラウド』(公開中)。新作の公開が続いた2024年は、その量においても、質においても、そしてなによりも「ジャンル映画への回帰」という意味においても、1990年代後半から2000年代前半までの傑作連発期以来となる「黒沢清の年」となった。もっとも、来年のアカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品として『Cloud クラウド』が選出されたことが象徴しているように、20数年前の日本映画界で黒沢清が立っていた場所と、現在の日本映画界で黒沢清が立っている場所は違う――いや、「本当に違うのか?」というのがこのインタビューのメインテーマだ。
国内においても国外においても、メジャー配給のエンターテインメント作品とアートハウス系作品はその予算規模、配給体制、宣伝展開、上映スクリーン数、そして観客層などすべてが違っていて、当然のように一つの作品が成功したか否かという視点においても、それぞれ異なる基準を持ち込む必要がある。しかし、これまで黒沢清の作品はジャンル映画(≒エンターテインメント作品)を志向しながらも、同世代のどの監督よりも作家(≒アートハウス系作品)として称賛されるという大きな“ねじれ”の中で(少なくとも日本の観客の間では)消費され、記憶されてきた。
とりわけ、ジャンル映画として極限まで研ぎ澄まされ、そこにスター映画という要素も大きくのっかった今回の『Cloud クラウド』は、そのような黒沢清の“ねじれ”を、監督本人との質疑応答によって解いていくのには最適の作品ではないだろうか。劇場で『Cloud クラウド』の容赦のない無慈悲さに打ちのめされた観客も、あるいは少々戸惑った観客も、このインタビューを作品と作家(いや、「職人」と言うべきか)への理解に役立てていただければ幸いだ。
「気持ちよく立て続けに“ジャンルの中で戯れていていい”という時代はいつの間にか終わってしまった」(黒沢)
――日本での公開は『蛇の道』『Cloud クラウド』という順番で、その間に『Chime』の劇場での上映もあったわけですが、それぞれ撮影時期はどういう順番だったんですか?
黒沢「全部2023年で、フランスで『蛇の道』を撮ったのが4月から5月にかけて、『Cloud クラウド』を撮ったのが11月から12月にかけて。『Chime』はその間に撮りました」
――撮った順に世に出てるわけですね。
黒沢「そういうことになります」
――『蛇の道』だけを観た時点では、あれは企画自体が1998年の作品のセルフリメイクだったので、そのまま受け取ったわけですけど。その後、『Chime』『Cloud クラウド』と続けて観ていくと、もしかして現在の黒沢監督は、90年代後半から00年代前半にかけてスリラー作品やホラー作品を連続して手掛けていた時代に回帰しているのかもしれないと。そういう指摘をする人は、自分だけじゃないと思いますが。
黒沢「そう見えるかもしれないですし、特にセルフリメイクの『蛇の道』がそれを強調しているんだと思うんですけど、あんまり『あの時代をもう一度』みたいなことは意識していないんです。偶然、そういう企画が昨年連続して実現したというだけで。『Cloud クラウド』も、実際に脚本を書き始めたのはもうだいぶ前なんですね。ただ、なかなかそうすんなりと企画は通らず、その間にはコロナもあったりして」
――脚本の段階では、主演が菅田将暉さんというのも決まってなかったんですか?
黒沢「はい。当初はまったく。理想として菅田将暉さんというのはあったんですけど、めちゃくちゃお忙しい方ですから。それが、菅田さんに出ていただけることになって、急にバタバタと実現していった感じですね。だから、おっしゃっていただいたことを踏まえて言うならば、僕はやっぱり隙あらばジャンル映画を撮りたいんです。90年代にVシネマを撮っていた時期も、特にそこでは哀川翔さん主演のヤクザ映画っていう一つの枠を与えられたので、だったらその枠の中でそのジャンルを突き詰めたようなものをやりたいと思ってやってきて、非常に楽しい日々を過ごさせてもらいました。その後も、隙あらばホラーであったり、スリラーだったり、そういうジャンル映画的な作品を撮ってきたわけです。ところが、Vシネマをやっていた時代のように、気持ちよく立て続けに“ジャンルの中で戯れていていい”という時代はいつの間にか終わってしまった。ある時期から、どんなジャンルの作品にせよ、作った作品1本1本がどうなっていくのかを見届けて、結果として責任を引き受けなくてはいけなくなってきました。興行的な面においても、評価においても」
――まあ、作品に関わっている人数も、製作費も違ってきましたしね。
黒沢「そうですね」
――具体的には、いつごろからそういう実感を持つようになったんですか?
黒沢「2000年以降ですね。現場で集中していい作品を作れたらそれでいいという時代では、もうないんだなって、そのころに実感するようになりました」
――そこから日本の映画界全体を取り巻く環境はそんなに大きく変わったようには思えないのですが、黒沢監督の中ではなにか変化があったのでしょうか?
黒沢「いつごろからですかね。5、6年前、いや、もうちょっと前ですかね。Vシネ時代に戻りたいというわけではないんですけど、また、あんまり結果がどうなるかってことは考えないで、ジャンル映画の決まった枠の中でギリギリ自分がやりたいことができれば、それ自体がもう最大の結果なんじゃないかとも思うようになったんです。あのころに自分がそれで満足していたなら、いまの環境でそれをどうやれば実現できるのかを考えて、それが今年の『蛇の道』と『Cloud クラウド』だったことは間違いないです。同じ時期にそれが実現したのは、たまたまなんですけどね」
――『Chime』はその2作品とはちょっと違うのでしょうか? あれも、ホラー映画という意味ではジャンル映画的な作品だと思ったのですが。
黒沢「結果、『Chime』もそういう作品になったんですけど、あれはまたまったく違う流れで依頼を受けた作品で。普通の映画よりは全然短い、40分ちょっとの中編ということも含め、当初はジャンル映画的なものとは真逆にあるような企画でした。つまり、そんなに予算があるわけではないけど、それでなにをやってもいいですと。別に映倫に通す必要もない、R指定も関係ない、なにをやってもいいですと。『本当になにをやってもいいんですか?』っていう(笑)」
――はい(笑)。
黒沢「本来、なにをやってもいいなら、ものすごく平凡な作品でもいいわけですが、『なにをやってもいいんです』と言ったプロデューサーの本心を忖度するなら、『なにをやってもいいけど、これまで見たことないような作品にしてくれ』っていうことなんですね。そういう雰囲気を察したので、あんまり見たことがないような奇妙な作品、あたかも僕が自由奔放にやったかのような作品を作らせていただきますと答えました。でも、そこで僕が思い知ったのは、自分の趣味嗜好、才能っていうのは本当に限られてるんだなということで(笑)。やっぱり『なにをやってもいい』となると、ホラーっぽい作品、スリラーっぽい作品になっちゃうんですね。そういうところ、濱口(竜介)みたいにはいかないんです、やっぱり」
――(笑)。
黒沢「人がバタバタ死ぬようなものが、自分はやっぱり好きなんだなってことがわかりました。なので、『Chime』に関しては、ジャンルものという発想から生まれた作品ではないです」