『Cloud クラウド』黒沢清が語る、”ジャンル映画”と添い遂げる覚悟。“作家”ではなく“職人”であると自認する、その理由【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

インタビュー

『Cloud クラウド』黒沢清が語る、”ジャンル映画”と添い遂げる覚悟。“作家”ではなく“職人”であると自認する、その理由【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

「いわゆる「黒沢清映画のシグネチャー」が出てきますよね。もはや「ファンサービスなのかな?」みたいな(笑)」(宇野)

――やってることは全然ヒロイックじゃないのに、どこか主人公がヒロイックに見えるのも、それが理由かもしれませんね。主人公と対立するのが、闇サイトで集まったうだつが上がらない群衆であるというのも大きいのかもしれませんが。

吉井(=ラーテル)に悪意を持った男たちが、レトロな雰囲気のゲームセンターに集まる
吉井(=ラーテル)に悪意を持った男たちが、レトロな雰囲気のゲームセンターに集まる[c]2024 「Cloud」 製作委員会

黒沢「主人公がなにか危機的な状況に陥って、殺す/殺されるという関係になるだけだったら、単独の悪い存在、モンスターみたいな男にねらわれるとか、そういう恐ろしいキャラクターを設定できなくはないんですけど、この作品では単独犯にしたくないっていう想いがあったんです。ただ、複数の人間が襲いかかってくるとなると、途端に難しいんですよね。集団であるからには、集団を統一する、集団が共有している原理が必要なわけです。そうするとまず思いつくのはヤクザ。ヤクザも――現実のヤクザの方を僕はよくは知らないですけど――昔は仁義みたいなものがあったんでしょうけど、現在のヤクザって本当に価値観が統一できているのか、ちょっと怪しい気がします。すると、カルト教団とかテロリストとか、もっと言うと宇宙人とかですね(笑)。統一されたなにかで動いてそうな感じがするってなると、そういうことになってきたりするんですけど、カルト教団とかテロリストとか、宇宙人はちょっとわかりませんけど、そういうのって実は決して”悪”ではないわけですね。向こうからすると“善”だったりする。でも、今回は善対善の激突はなく、明らかに悪意をもって攻めてくる集団を描きたかったんです。その場合、なにで彼らは統一されてるのかなっていうのは、相当悩んだんですけど。あ、まとまってなくていいんだっていう(笑)。なにもまとまりのない、唯一あるとしたら、1人1人が割とみんな主人公に似ている」

――ああ、確かに似てもいますね。

黒沢「はい。みんな人生の崖っぷちにいるというのは一緒で、統一した価値観はなにもない主人公とどっか似たり寄ったりの人たちが、あからさまな悪意のみで集まってくるという。悪意以外の共通点はなにもない人たちが主人公に襲いかかってくる、そういう構図に最終的にはなりました」

奥平大兼演じる吉井の助手・佐野が、物語を大きく動かす
奥平大兼演じる吉井の助手・佐野が、物語を大きく動かす[c]2024 「Cloud」 製作委員会

――そうなると、奥平大兼が演じている、主人公の助手の佐野の特異性がより浮き上がってきますね。

黒沢「佐野に関しては、ぶっちゃけ、ああいう存在がいないとやっぱり反撃できないよねっていう(笑)」

――ああ、もうストーリーテリング上の都合という(笑)。

黒沢「はい。拳銃を用意するのも彼ですし。日本だと、そうそう拳銃なんてゴロゴロないわけですし。だから佐野だけが、ひょっとしたらヤクザと繋がってるのかなんなのかわかりませんけども、そういう従来の、悪者というか、従来のああいう、アクションをしそうな気配のあるところとつながった人なんですね。銃の扱いも慣れていて」

登場する銃器にも黒沢監督のこだわりがこめられている
登場する銃器にも黒沢監督のこだわりがこめられている[c]2024 「Cloud」 製作委員会

――奥平大兼さんの存在感はこの作品の大きな発見の一つだったんですけど、佐野の吉井に対するあの忠誠心は一体どこから来てるのかというのが謎で(笑)。

黒沢「現代の日本だと、このくらい都合のいい人が出ないと、なかなか物語が成立しないんですよ。そこは、これまで作ってきた映画とも共通したところでもあるんですけど、危機的な状況っていうのは、”だんだん”訪れてくるんです。その“だんだん”を描く時に物語をどう作っていくかって言うと、主人公はちょこちょこ危機的になりながら、一方で危機とは関係のない日常的な営みをしているっていう描写になるわけですね。そのなんでもない、主人公にとっての日常をどう規定するかっていうところに、知恵を使う必要があって。日常といっても、そうそう安泰なものではないですよっていう雰囲気をどうやって作り出すか。それはいつも考えていることです。例えば、犯人を追っている刑事が危機的状況に陥って、でも家に帰ったら奥さんがいて、それは一応平凡な日常ではあるんだけど、奥さんとの関係もちょっと怪しくなってきて、それが事件の状況とも重なってくる、みたいな。大体僕がよくやる手口なんですけど(笑)」

――(笑)。

「今回も、主人公の吉井がいろんな人の恨みをちょこちょこ買いながら、でも着々と転売ヤーの仕事を続けているなかで、恋人の秋子や助手の佐野という、本来は自分の味方であろう人たちが、そうでもないっていうふうにだんだん見えてくる。そういう意味では、同じ手口なんですよ」

――同じ手口という点では、これは改めてちゃんとお伺いしたいんですけど、今回の『Cloud クラウド』にも揺れるビニールのカーテンだったりとか、スクリーンプロセスの運転シーンだったり、いわゆる「黒沢清映画のシグネチャー」が出てきますよね。もはや「ファンサービスなのかな?」みたいな(笑)。

黒沢「自分としては、あれをシグネチャーと思ったことはないんですよ。ジャンル映画まがいのものを現代の日本映画という枠で撮ろうとすると、あれしか選択肢ないでしょうっていう」

――それは予算感も含めてということですか?

黒沢「予算もそうですし、時間もそうですし。例えば、車を走るシーンをスクリーンプロセスでやることを、さもそれが作家性であるかのように言われることが多いんですけど、僕からすると『ほかにどんな手があるんですか?』っていう。いや、ほかの手もありますよ。あるんですけど、まずつまらないというのと、つまらないのにスクリーンプロセスよりもっとお金も時間もかかる。僕もいろいろやってきましたけど、スクリーンプロセスが、最も作る側がコントロールできて、かつ安上がりなんですよ。ビニールのカーテンもそうですね。あれもすごく安上がりなんですよ」

――(笑)。

物語後半の銃撃戦では、廃工場が舞台となっていく
物語後半の銃撃戦では、廃工場が舞台となっていく[c]2024 「Cloud」 製作委員会

黒沢「遠くまで見通せるようなロケ場所で、ちょっとした遮蔽物が欲しいなあっていう時に、最も安価に空間を遮ることができて、それが風が吹いた時にちょっとなびいたりするものといったら、ビニールのカーテンしかないんです。だから、僕が選んでるのではないです。映画が選んでる」

――(笑)。じゃあ、例えば、予算が5倍、あるいは10倍あった場合でも、同じことやりますか?

黒沢「同じことやるかもしれません(笑)」

――コントロールできるっていうのも重要なんですね。予算だけじゃなくて。

黒沢「まあ、そんな膨大な予算があったことがないのでなんともわからないですけど。でも、あれは作家性ではないんです」

「誰もなんとかしないとと思わなくなったら、その時にたちまち崩壊するのではないかという気はしますね」(黒沢)

――黒沢監督が国外の映画祭などで高く評価されるようになってからもう25年くらい経つわけですが、その四半世紀の間、黒沢監督の作品を取り巻く環境というだけでなく、日本映画全体を取り巻く環境というのは、少なくともお金の面では大きく変わってないと思うんですね。

黒沢「そうですね。25年前と、実はほとんど変わってない気はしますね。さらに言うなら、そのもっと前から、ずっと変わってない気がします。逆に言うと、ずっとギリギリで、もう駄目だ、ろくなことはないって言われながら、ここまでもってしまっている」

――そうですよね。

黒沢「しかし、ずっともってきたことで、その先にようやくいい兆しがあるかっていうと、いい兆しなんてなにもない。なにもないのに、ここまでもっている。不思議だなっていう。ただ、ここまでもったからには、良くはならないかもしれないけど、まだしばらくもつかもしれない」

作家性とはなんなのか。職人としての監督業をたっぷり語り合った
作家性とはなんなのか。職人としての監督業をたっぷり語り合った撮影/黒羽政士

――もっと不思議なのが、この25年間、あるいはそれ以前から、日本社会自体がそんな感じだということです。

黒沢「確かに、映画以外もそうなのかもしれません(笑)」

――さすがに5年後にはそうも言ってられないだろう、みたいなことは思うのですが。

黒沢「映画に関してのみですけれど、変わってないと言えば変わってないのですが、いやこれもうダメだよ、なんとかしないと、ちょっとでもなんとかなんないのって、そういう危機感を持っている人がごく少数いて、そのおかげ今日までなんとかもっている感じもします。僕もその1人でありたいなと思いますけども。誰もなんとかしないとと思わなくなったら、その時にたちまち崩壊するのではないかという気はしますね」

――そこでの、黒沢監督自身の日本映画界との距離感というのを最後にお訊きしておきたいです。もちろん、ご自身の作品の持つ力だけでなく、学校で映画を教えられているということも含め、新しい才能を輩出する上でも多大な貢献をされているわけですが。

黒沢「結局は最初の話題に戻ってしまうのですが、僕はジャンル映画が好きで、もっと広い言い方をするなら、それはつまり娯楽映画なんですね。自分はここまで、最高最良の娯楽映画が作りたいなという想いだけでやってきたので、ギリギリ、それをいまもやれていることに、なにかの意味はあるんだろうと思います。つまりなにが言いたいかというと、僕、作家ではないんですよ。全然作家じゃないんです。ただの職人です」

 「僕、作家ではないんですよ」と繰り返す黒沢清監督
「僕、作家ではないんですよ」と繰り返す黒沢清監督撮影/黒羽政士

――とはいえ、現代の日本映画界において、作家的に語られる映画監督の筆頭の一人であるというのも事実ですよね。

黒沢「語る方はジョン・カーペンターだって作家として語りますから。語る側はもちろん自由です。でも、作ってる側としては、それこそジャンル映画、観客を楽しませるための映画をずっと作ってきただけで、作家的な映画は作っていない。だから、自分は作家ではないんです。それは、作家の方が職人よりも上だとか下だとか言ってるわけではなく、作家の方は作家の方で、すばらしい方が日本映画界にはいる。そして、やはり日本映画をなんとかしなきゃと思って、日本映画をなんとか延命させるために腐心されてきた方の多くは、そういう作家の方たちだと思うんですね」

――はい。

黒沢「そういう方たちの力で、日本映画は今日まで生き延びてきたわけですけど、作家じゃない職人でそれをやってきた方というのは、逆に言うとほとんどいなかったなあという実感があります。なので、僕は職人という立場から、なんとかそれを続けたいと思ってます。可能な限り。作家映画だけになったら、映画はつまらないですから。作家の映画もあり、ジャンル映画や娯楽映画があって、その両方によって映画の豊かさが保証されると信じているので。作家ではない方向の映画をなんとか少しでも、その幅を日本映画の中でも広げていければなと思いますけれども」


――先ほどもおっしゃっていたように、黒沢監督自身、ロールモデル的な存在がいないところでここまで歩んできたわけですけど、今後、黒沢さんを一つの前例として「ああいうやり方があるんだ」っていうことを示していければということですね。

黒沢「かっこよく言うとそうですね。でも、現実は多分、若い人にとっては『ああはなりたくない』存在なんですよ(笑)。だから、皆さん作家になっていかれるんです。それでも、そこにいるだけで貴重だと思っていただければありがたいです」

取材・文/宇野維正


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