東京国際映画祭でジョニー・トーと入江悠が対談!“香港ノワール”の名手が明かす、誰も真似できない制作スタイルとは
「香港映画界の状況はかなり変わってきている」
ここから、ジョニー・トー監督が1996年に設立した製作会社「Milkyway Image(銀河映像)」の話題に。「設立の前年にはなにも制作せずに、いままで自分が撮ってきた映画について振り返りながら、どういう映画を撮りたいのか、なんのために撮りたいのか、どういう監督でいたいのかなど反省していました」と振り返るジョニー・トー監督は、「映画界の中でどう生き残り、どう発展させていくか自分自身に言い聞かせるために会社を立ち上げました」と語る。
「この会社で作るものは、オリジナルのクリエイティブなものでなければならないと決め、そのような作品を撮ることができました」と話すと、今度はキャリア初期の1980年代のエピソードへと遡っていく。当時は大手映画会社で仕事をしていたジョニー・トー監督。「そこで映画を撮る条件が、商業映画で、笑える要素が必要不可欠と言われていました。個人的にはそういう作品は好きではないが、自分の監督としての技量を証明するためにやっていました」。
そんななか、手掛けたコメディ映画『僕たちは天使じゃない!』(88)が当時の香港映画の興行成績を塗り替えるほどの大ヒットを記録。「成功を受けて会社からは『撮りたい映画を撮っていいですよ』と初めて言われました。その時企画して撮ったのが『過ぎゆく時の中で』で、周囲からは『こんな映画観る人いない』や『儲からない』と散々言われたけれど、チョウ・ユンファが出ているから赤字にはならないと信じ、チャンスを逃すまいとやったら大成功を収めました」。
さらに同作の劇中の危険なレーススタントシーンの撮影時に、救急車を複数台待機させ、何人ものスタントマンが病院に運ばれながら理想的なシーンを作りあげていったエピソードを明かすと、「当時の香港映画は、多くの人の努力によって誕生したもの。特筆すべき存在はジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーであり、彼らのおかげで世界中で公開されるようになった」と、香港映画が特に輝きを放っていた時代に思いを馳せた。
「いまも映画をやりたい若者がたくさんいますが、我々が若かった頃とは状況がかなり変わってきています」と、香港映画界の現状を憂慮するジョニー・トー監督。「かつてあった映画会社や大きなスタジオはどんどんなくなり、政府は支援をしてくれるけれど、それだけではなかなか夢が大きくならない。映画のスケールもどんどん小さくなっていて、それでも若者たちを応援することに力を惜しまない映画関係者たちには感謝しかありません」。
そして「まもなく私は70歳を迎えるけれど、この後10年頑張れたとしても、そのあとはたぶんなにもできない。私としては、今後、香港映画に投資する人が増えていけば未来が明るくなるでしょう」と期待感をあらわにし、「時代や社会に対して言いたいことを、どこまで言うのか熟慮して撮ることがクリエイターとしての責任のひとつ。仮に香港で映画を作ることができなくなっても、才能があればどこの国でも撮れる。若い人たちは教養や知識、技術を磨き、まずは行動に出ることが大事だと思います」と次代の作り手にエールを送っていた。
取材・文/久保田 和馬