奥山由之が「silent」脚本家・生方美久に送った一通のDM。出会いから『アット・ザ・ベンチ』に込めた想いまでを語る
「自己責任で作っているからこそ、第4編目のような大胆なことができた」(奥山)
――第4編では奥山監督自身が脚本も書いていて、しかもとても異色です。まず色味が違いますし、ほかの4作は日常の会話劇ですが、4編だけはSFのようなシュールな展開です。
生方「あらかじめ脚本を読ませてもらった時、あれが映像になるのが一番楽しみでした。実際観た時、すでに内容は知っているにもかかわらず、なにが始まったのか、と思いました(笑)」
――第4編は自分で書いて撮ろうと思っていたのでしょうか。
奥山「せっかく個人的な想いから始まった企画ですし、どこか1編は自分で書こうと思っていました。以前から位相やレイヤーが目まぐるしく変わっていったり、現実と非現実、ドキュメントとフィクションを行き交う作品を、MVなどでも好んで作ってきたので。現実は現実、フィクションはフィクション、として描かれるよりも、それらが渾然一体となっていたほうが自分にとってはむしろリアリティを感じれるんです。思い込みや常識が途中で剥がれていくことで、世界が多面的であることを知れる。今回は自主制作で、自己責任で作っているからこそ、思いきって第4編目のような大胆なことができたと思います」
――物語のなかで、生方さんの書いた第1編に出てくる固有名詞が出てきて、作品がリンクしています。また、第2編でも第1編とリンクする小道具が出てきます。また、第5編では第3編の内容を思わせるセリフがありました。
奥山「まず、第1編を生方さんに書いていただいて、そのあと、第2、3、4編と順番に進行して、第5編は、生方さんに第4編までの脚本を読んでもらってから執筆していただきました。自主制作だからこそ制作過程が流動的で、時間に余裕をもって進めることができたのだと思います」
「脳で思ったことをそのまま口に出して言語化すると、自分が伝えたいことと差異がある」(生方)
――第4編で「(人間は)感覚と言葉が分離している」というようなセリフがあります。本質的というか哲学的だなと感じました。お2人は「感覚と言葉」をどう捉えていますか。
奥山「僕は思っていること、感じていることを言葉にして伝えることがとても苦手なんです。自分の心や脳内にある感覚を言葉に変換することがうまくできなくて。だからこそ映像や写真という、抽象を具体にできる表現媒体を無意識で選んでいるのだと思うのですが。なんでこの気持ちを、たった数%もうまく伝えられないんだろうと、もどかしい日々です。でも逆に、だからこそ、人間のコミュニケーションはおもしろいなとも思ったりしていて。どれだけ言葉を尽くしても100%伝わるということはない。ということは互いを理解するためにはほとんどの場合、誤解を経ないといけない。むしろ話せば話すほど誤解が生まれてしまうことだってある。もちろん言葉を超えた心の伝達や、非言語的な共鳴はあるとしても、基本的なコミュニケーションはまずやっぱり言葉になる。そこにもどかしさを感じるけれど、それが一つの“風情”でもあり、ある種の“愛おしさ”でもある、みたいなことを思います」
生方「私もほんとに奥山さんに近くて。さっき、(このインタビュー記事用の)写真を撮りながらも、取材が苦手で、結構断ってきちゃったという話をしたのですが、しゃべることが嫌いなわけではなくて。脳で思ったことをそのまま口に出して言語化すると、すごく差異があるんですよ。言葉に変換したものと、自分が伝えたいことに差異がある。取材だと、私の発した言葉からもう一つライターさんのフィルターを通して文章にすることで、さらに差異が生まれます。…なんて、プレッシャーかけてしまうようですが(笑)。奥山さんの映像と写真のようなもので、私は自分の考えていることを文章にするとすっきりするんです。手書きでもパソコンで打つのでもどちらでもいいのですが、自分で書く。脚本以外でも、エッセイや、誰にも見せられない日記とかもあるのですが、文字なら、しゃべっている時とは違って、自分の感覚がそのまま出せます。だから、私は映画監督ではなく、書くほうに行ったのだなって。感覚と言葉のズレがあるからこそ、書くほうに」
奥山「もし数千年後、数万年後に人類が滅びて、別の生物が人類史を見返した時に、なんでこんなことで悩んだり、こんな面倒なコミュニケーションのとり方をしていたんだろうと不思議に思うだろうなあ。いとおかし、みたいな」
生方「おっしゃる通り、コミュニケーションのズレがおもしろいと思えるので、今回のお話の中にも取り込みました」
――生方さんのセリフは、いい意味で理路整然としてなくて、言い淀んだり、同じようなことを何度も繰り返したりしますよね。
生方「映画やドラマのセリフで、理路整然と語るものの良さもあるけれど、すらすらと流暢にしゃべっているキャラクターがいると、私は違和感を覚えてしまうんです。ただ、一語一句、自分が書いたセリフ通りしゃべってほしいと思っているわけではなくて。さっき奥山さんがおっしゃった偶発的に起こることーービニール袋落としちゃったみたいな、無意識に役者さんが感じたことを自然に取り入れている『アット・ザ・ベンチ』はいい作品だなと客観的にも思います」
奥山「第2編の蓮見さん、第3編の根本さん含めて、一つのベンチを舞台に、描けるかぎり多面的な物語を描くことができました」
取材・文/木俣 冬