「海外逃亡しようかと思った」原恵一監督、新人時代の苦労話を吐露
現在開催されている第30回東京国際映画祭のアニメーション特集「映画監督 原恵一の世界」。10月29日にTOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた第4日目は、原監督から自身の原点である「エスパー魔美」にまつわる苦労話や葛藤、作品に込め続けたある思いが語られた。
何をやってもダメ出しされて、オンエアされる前に辞めようと思った…
初めてTVシリーズの監督を務めたのは、監督が敬愛する藤子・F・不二雄原作の「エスパー魔美」。しかも20代後半でチーフディレクターに大抜擢された原監督は、「ものすごく嬉しかった」とその当時の心境を振り返る。ところが、いざフタを開けてみたら想像以上に過酷な現実が待ち受けていたようで…「チーフディレクターってこんなにキツいんだ…と始めた途端に痛感しましたね。何をやってもダメ出しされて、もう無理だな…と思って、オンエアが始まる前に辞めようと思ったんです。その時は、頭にきた奴らをぶん殴って、国外逃亡しようと本気で思ってましたから(笑)」と若かりし頃の苦労話を話し、会場を沸かせた。
藤子F先生の作品に並べても恥ずかしくない、思い入れの深い2本
あらゆる葛藤を抱えながらも、約2年半放映された「エスパー魔美」を最後までやり遂げた原監督。なかでも特に思い入れのある作品が、初めて脚本&演出を手掛けた「たんぽぽのコーヒー」(第54話)と「俺たちTONBI」(第96話)だという。
「『たんぽぽのコーヒー』は、桶谷(顕)くんというシンエイ動画の同期が書いたプロットがとても面白くて、僕がかなり乗り気で絵コンテを書いて、演出をした作品なんです。その後、桶谷くんは病で若くして亡くなってしまったんですけど…(2007年病没)、彼が書いた作品のなかでもとりわけ思い入れがあって、今でもやっぱりいい作品だなという自負があって選びました」
「もうひとつの『俺たちTONBI』は、なかなかみんなが納得のいくプロットができない時期に思いついたもので、若者たちの群像劇に挑戦した作品です。『たんぽぽのコーヒー』もそうですけど、いつもとは違うことをしてみたいと思って、いろんな演出を試みましたね。正直、不本意なかたちでオンエアしたものもたくさんあったんですけど、この2本はオリジナルストーリーで藤子F先生の作品に並べても恥ずかしくないし、すごく思い入れのある2本です」
「エスパー魔美」は“ヌード”が売りの作品じゃない
今の時代では考えられないが、ゴールデンタイムに放映されていたにもかかわらず、「エスパー魔美」にはヒロインのヌード描写が頻繁に登場する(ヒロインの魔美が絵描きである父親のヌードモデルをするという設定だったため)。それゆえ挑戦的なファンタジー作品と捉えられてもおかしくないが、原監督が一番描きたかったのは、“中学2年生の普通の日常”だったという。
「『エスパー魔美』という作品は、別にヌードが売りの作品じゃないし、“超能力少女もの”という作りにはしたくなかったんですよね。プロデューサーたちからは『もっと華やかに演出できないの?』と言われて、衝突することもありましたけど、そこは最後までブレずにできた気がしますね」と明かす。
「アニメーションは日常的な無駄な時間を排除して作られる作品が多いけれど、僕はそこを丁寧に描きたいと思っていて。『エスパー魔美 星空のダンシングドール』(88)では当時のお台場が出てくるんですけど、昔は材木が置いてあるだけの荒涼とした場所だったんです。でも僕はその先に東京タワーとか高層ビルが立ち並んでみえる景色がとても好きで、舞台にしたんです。今はすっかり変わってしまったけれど、今でもお台場に行くと魔美のことを思い出しますね」と、劇場版でも丁寧な“日常描写”を心掛けたことを語った。
最後に、「『エスパー魔美』という作品は、やはり藤子F先生のなかでも代表作ともいえる素晴らしい作品なんですね。この作品がどんなに素晴らしいか、藤子F先生がどんなに挑戦的で素晴らしい作家だったかということを多くの人に知っていただきたいと思います」と敬愛の念をあらわにした。【取材・文/トライワークス】