坂本龍一、闘病中はピアノも「全然、弾けなかった」
世界的音楽家・坂本龍一に密着取材したドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の初日舞台挨拶が11月4日に角川シネマ有楽町で開催され、坂本とスティーブン・ノムラ・シブル監督が登壇。坂本が闘病中の様子を語った。
2012年から5年間もの長期間にわたる本人への密着取材で実現した本作。イエロー・マジック・オーケストラから映画音楽家までの変遷、社会・環境問題に意識を向けた活動、それがもたらした音楽への変化など、坂本の“すべて”が明らかとなる。坂本が初日舞台挨拶に登場するのは、俳優として出演し、映画音楽も手がけた『戦場のメリークリスマス』以来34年振りのこととなった。
シブル監督によると「“NO NUKES”のコンサート映画を作りませんかというところから、話し合いが始まった」と当初は“脱原発”をテーマとしたロック・フェスティバルの映画にする予定だったそう。「話をする中で、『密着取材にも興味がある』と伺って」と続けると、当時のことをあまり覚えていないという坂本は「こっちから言ったんだ」と驚きの表情を見せた。
会場が笑いに包まれる中、坂本は「自分を撮ってほしいということではなくて、僕を使いながら、2011年の災害の後、激動の日本の社会を撮ってほしいという気持ちだったんですよ」と照れ笑い。「自分をさらすような、露出狂ではないんですよ」と釈明していた。
シブル監督は「ひと夏、追わせていただく予定だった」と短期間の密着取材を予定していたが、「坂本さんがこれからどういう音楽を作っていくのか」との衝動に突き動かされるように、取材を続けたそう。坂本は「アルバムが完成して(映画も)“めでたし、めでたし”にするつもりだった。そうしたら、2014年に病気になっちゃって無期延期になっちゃったんだよね」と撮影中に、中咽頭がんの診断を受けてしまったという。
劇中では、坂本の闘病生活も映し出されている。「回復しなかったら、そのまま終わっていたの?」と監督に茶目っ気たっぷりに尋ねた坂本。「闘病をしているときは、ピアノどころじゃないですね。全然弾けなかった」といい、「一番苦しい闘病が過ぎて、若干回復し始めて、白いご飯が食べられるくらいになったとき。音楽が身近にないとやっていけないので、弾き始めた」と闘病生活と音楽への思いを語っていた。【取材・文/成田おり枝】