『G-レコ』富野由悠季監督にインタビュー!「大事なのはアイーダとベルリの姉弟話」【前編】
「エンディングロールのところだけでも観てください」
――音楽の使い方についてオーダーは出されましたか?
富野監督「一切ありません。声の収録の作業をしている音響監督もそうだけど、ミキサーや選曲など専門家がいます。彼らは音の職業人。僕よりはるかに耳が良いです。テレビシリーズでも仕事をしてもらっていますが、今回のラッシュを観て画の組み方が変わってきていますから音楽の位置も変わってくる。プロをなめてもらっては困ります(笑)。ただ、今回再認識したことがあって、菅野祐悟という人はそれなりのヒットメーカーだというのは重々承知していたけども、『G-レコ』には絶対に合っていない人かと思っていました。けれど、劇場版であらためて音楽を合わせていったら、芯に凄いものがあるので使い幅がもの凄くあるというのがわかり、かなり天才肌だなと理解することができた。これもTVシリーズの時の富野がバカで、なんでそう思ったのか。きっと僕の好みがあるんですね。今回は、むしろ映像の方が綺麗に流れはじめた時に、菅野音楽が流れ過ぎるのを止めてくれる。映画というのは怖いですよ。思った通りに作れているなんて生易しいものではなくて、相乗効果が起こってきた結果、かなり大きく、うまくハマるとこうなります。『G-レコ』の第1部に関して言うと、僕自身が恐縮するくらいうまく化けた感じがします。ほかにも言っておかないといけないことがあります。(メディア関係者が事前に観ているDVDや試写会での)第1部はエンディングロールが黒ベタのものしか観ていないでしょう?アレを直しました」
――なにか絵が入るんでしょうか?
富野監督「もっとすごいです。すごいというんじゃない。笑っちゃう。『こんなに楽しい映画なんだ』と思ってもらえます。それを仕組んだのは僕かもしれないけれど、いま言ったとおりです。楽曲をもらって、むざむざ黒べタの背景でスタッフロールを流すなんて『富野バカじゃないの』と。だから、楽曲に合わせて…。僕にしては勝負しています。あいつ(菅野祐悟)になめられてたまるか(笑)!メディア関係者の皆さんはエンディングロールのところだけでも観てください」
――OPをテレビシリーズのまま使用された理由は?
富野監督「これは僕から指定しています。どうしてかというと、僕のバカさ加減でそれこそG-セルフの目玉が入っていなかった。けど、そのバカさ加減を全部知らん顔をして『自分はこれだけのことができるんだ』というふうにしようと思ったら、OPにも手を入れるでしょう。OPを作り直すかもしれない。けれど、もっと大事なことがあって、それをしなかった理由は、これ以降『G-レコ』で残るのは映画版だからです。だからTVシリーズ初期の頃はこういうことをやったんですよと、証拠だけは残したかった。それと、本編に入ったら『あれ?』と、その差がわかるようにしてあげたい。資料として。アーカイブにもなるようにOPはテレビ版のままにしてあります」
――これまでの富野監督の映画ではありえないと、驚いてしまいました。
富野監督「それはこれまでの作品にとらわれているからです。『G-レコ』はそれができる作品。『G-レコ』というフィーリングの作品でなければ、僕もあんなOPは付けません。『ガンダム』系の作品ならあんなことはやりません」