「もうノスタルジーではない」鄭義信監督が『焼肉ドラゴン』に捧げた想いとは?
第8回朝日舞台芸術賞グランプリをはじめ、日本と韓国で高い評価を獲得した同名舞台を、作者である鄭義信が自ら脚本と監督を務め映画化した『焼肉ドラゴン』(公開中)。これまで『愛を乞うひと』(98)や『血と骨』(04)の脚本など数多くの映画に携わってきた鄭監督に、本作に込めた思いの丈を伺った。
本作の舞台は高度経済成長期まっただ中の関西の地方都市。狭い路地の一角にある小さな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む6人家族が、時代の波に翻弄されながらも力強く生きていくさまをユーモラスにつづっていく。真木よう子と井上真央、桜庭ななみが一家の美人3姉妹を演じ、長女の幼なじみには大泉洋、そして両親を韓国の名優キム・サンホとイ・ジョンウンが演じたことにも注目が集まっている。
平山秀幸や崔洋一など、優れた演出力を持つ職人監督とタッグを組んできた鄭監督だが、初めてメガホンをとる本作では独自の演出論を貫く。「映画は稽古を重ねて完成されていく舞台とは違って、カメラを回している時に瞬発的に出されるリアルな感情を切り取らなくてはいけないと思い、それを大切にしていきました」。
鄭監督はじっくりと演技を見せられる長回しでの撮影を多用している。「長回しのほうがカットを割るよりも感情がストレートに伝わるのではと考えました。感情が高まるところやマッコリを飲むところなどを、ストップをかけずに最後まで演技してもらったので、演者にはそのシーンを全部覚えてきてもらいました」と熱弁をふるった。
原作の舞台が初演されたのは08年。それからちょうど10年を経て、満を持しての映画化となった。「日本で初めて上演された時にはノスタルジックな作品として捉えられていたのですが、韓国では違っていました」と当時を振り返る。「そのころから韓国は経済成長が進みすぎて、かつて社会の中心だった“家族”が崩壊しつつあります。だから、若い世代の人たちを中心に“現在進行形”のドラマとして捉えられていました」。
その後11年に再演が行われ、16年に再々演が行われた本作。再々演のころには日本の社会にも変化が訪れていたことを、舞台を観に来た観客の反応から感じ取っていたようだ。それはちょうど再演が行われている時に発生した、東日本大震災がきっかけとなっていたのだと鄭監督は推察する。
「もう『焼肉ドラゴン』はノスタルジーではなくなっていたんです」と、少しせつなそうな表情を浮かべながら語る鄭監督は「震災があって東北の人たちが自分の故郷を捨てざるを得なくなったことで、この物語が70年代の物語であり現代の物語でもあると、置き換えて見てくれる人が増えたのです」。そして「僕が思っていたよりも、物語のほうが先に進んでいってくれているのだなと改めて実感しました」とこの物語に込めた“家族”と“故郷”というテーマへの強い思い入れをうかがわせた。
劇中に描かれる家族のエピソードには鄭監督自身の体験が反映されているだけに、その想いはひとしおだろう。「『醤油屋の佐藤さんから国有地を買った』というくだりは、うちの父の実話なんです」と幼少期の思い出を語ってくれた。「当時は姫路城の外堀にバラックを建てて暮らしていて、いまではその場所は姫路城の公園です。なので、僕の実家は世界遺産なんですよ(笑)」。
文/久保田 和馬