香川京子が明かす、“巨匠”小津安二郎との出会いと“伝説の女優”原節子の素顔
世界中の映画人に多大なる影響を残した巨匠・小津安二郎の代表作群を、4Kデジタル修復で蘇らせた特集上映「小津4K 巨匠が見つめた7つの家族」が23日に角川シネマ新宿でスタート。この日上映された『東京物語』(53)に出演した香川京子がトークショーに登壇し、小津監督と原節子らとの思い出を語った。
「自分の出演する映画は自分で選びたいという一心でフリーになって、不安も感じず、怖いもの知らずだった」と当時を振り返る香川は、49年に新東宝の「ニューフェイス」に合格し映画界入りを果たし、数年でフリーに転身。成瀬巳喜男監督の『稲妻』(52)を皮切りに今井正監督の『ひめゆりの塔』(53)など、映画会社の枠を超えて様々な監督の作品に出演。そして『東京物語』で小津監督の作品に初めて出演する。
「成瀬監督の『おかあさん』や田中絹代さんの『恋文』でプロデューサーをしていた永島一郎が私の義理の叔父で、当時銀座の中華料理店によく小津監督がいらっしゃるという話で連れて行ってもらいました」と、小津監督との出会いを明かす香川。「それからしばらくして、撮影所の前の“月ヶ瀬”(松竹大船撮影所前にあった食堂で、小津の行きつけだった)でお話をしました。いま思うと、それが面接だったんでしょうね」とにこやかに語る。
『東京物語』は笠智衆と東山千栄子演じる老夫婦が、尾道から東京で暮らす子どもたちのもとを訪ねるところから物語が始まる。長男と長女は日々の仕事に追われ、両親の相手をしない。そんな中、戦死した次男の妻だけが老夫婦に優しく接する。現代にも通じる親子の関係と死生観を真正面からつづった物語は、日本のみならず世界中から高い評価を獲得し、今なお世界の映画史に残る名作として知られている。同作で香川は、尾道で小学校の教師をしている次女を演じている。
劇中には家族の物語というテーマの中に、終戦直後の日本に残っていた戦争の傷跡が見え隠れしている。「撮影当時まだ子供だったですし、小津さんとお話しするなんてことはとてもできなかった」と明かす香川は、小津監督と2人で話す機会があった時のことを振り返る。「小津さんは『僕は世間のことには関心がないんだよね』とおっしゃいました。私は『ひめゆりの塔』に出たばかりで、戦争とか平和の大切さとか、社会人の1人として考えなきゃいけないと自覚したばかりでしたから、その言葉がどういう意味なのかしら?と心の中で思っていました」。
そして「何10年か経って、小津監督が遺された言葉を読み返すと、そういうことだったのかとわかりました」と、小津監督の言葉を書き記したメモを読み上げる香川。「『社会性がないといけないという人がいる。人間を描けば社会が出てくるのに。テーマにも社会性を要求するのは性急すぎるんじゃないか。僕のテーマは“もののあはれ”という極めて日本的なもので、日本人を描いているからにはこれでいいと思う』」。
「つまり人間を描いていれば、社会は自然に出てくるっていう意味の言葉だったんですね。『人間を描くことが一番大事』とおっしゃっていたので、演じる側としてもよく掴んで表現しないといけないんだなと教えられたような気がします」と、小津監督の作品に出演したことで得た女優としての心得を明かした。
さらに香川は「ずっと憧れていた方でした」と、原節子との共演についてや、2カットだけの撮影のために1週間ほど尾道に滞在した撮影時を振り返る。「小津監督の作品に出る原さんはとてもお上品で神秘的。でもご本人はとても明るい方で、豪快にお笑いになる元気な方でした」と、今や伝説の女優として語り継がれる原の素顔を明かす。「原さんと共演できることが嬉しくて、正直なところ小津監督のことはよく知らなかったんです(笑)」。
『東京物語』の後も、溝口健二監督の『近松物語』(54)や黒澤明監督の『天国と地獄』(63)や『赤ひげ』(65)、さらには本多猪四郎監督の『モスラ』(61)にも出演した香川。「私“監督荒らし”って言われてたのよ、荒らした覚えなんてないのに」と口を尖らせる素ぶりからは、銀幕の中と変わらない女優・香川京子の姿が見受けられた。
今年春には日本と台湾の合作映画『おもてなし』(17)に出演するなど、現役で活躍されている香川。『犬ヶ島』(公開中)を手掛けたウェス・アンダーソン監督も来日した際に香川に会いたいと熱望し、対面を果たしたという。「若い監督さんたちも黒澤さんや溝口さんの作品をご覧になっているので、私のことを忘れないでいてくださるんだと感じました。それに若い俳優さんたちとご一緒できるのも楽しいですよね。自分の血も若くなるような感じがします」と笑顔を浮かべ、まだまだ女優として第一線を走り続けていく意気込みを見せた。
取材・文/久保田 和馬