『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』公開記念!アシフ・カパディア監督インタビューPART1
絶賛公開中の『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』。前回のプロデューサー、ジェームス・ゲイ=リースのインタビューに続き、今回はアシフ・カパディア監督のインタビューを2回に分けてお届けする。
――セナをあまり知らなかったということですが、映画を撮る前のあなたのアイルトン・セナについての印象を聞かせてください
「私は大のスポーツファンなので、F1を長年見ていた。特に印象に残っているのはセナ対プロスト時代、1989年と1990年に日本で起きたチャンピオンシップ獲得へのドラマティックなクライマックスだ。セナにはいつも、ある種の存在感や本物のカリスマといった特別なものがあった。でも、正直なところ、私はF1にあまり詳しくないんだ。この映画を作るまでレースを見に行ったことはないし、セナやF1に関する本を読んだこともなかった。インターネットでF1情報を日々チェックすることもなかったからね。だから、セナについてよく知らなかった。でも、彼が事故にあったイモラでのレースはライブで見ていたから、あのひどい週末のことは鮮明に覚えている。セナがいなくなって、私はスポーツへの興味を失った。だから、アイルトン・セナの映画を作るチャンスが舞い降りた時には興奮したけれど、そのためには膨大な情報を知る必要があるから、かなりの難題になるだろうと感じたよ。だから、セナとF1に精通している脚本家のマニッシュ・パンディと密に仕事をできたのは幸運だった。彼とは良いチームだったよ。私は予備知識を多く持たずに製作に入るタイプだから、資料やエピソードを新しい視点から見ることができる。F1ファンにとっては関心が高い題材でも、一般の観客にとってそうとは限らないから、その辺りのバランスを見つけることが重要だった」
――あなたはセナを“アウトサイダー的な存在”と言ってますね。具体的にはどういうことですか?
「カーレーサーに、そしてF1のドライバーになるという夢を追って、セナは若い時にブラジルからヨーロッパに移った。故郷と家族から遠く離れたイギリスに長年住んでいたけど、母国と家族は彼にとってすごく大切だから機会を見つけてはしょっちゅう帰省していたよ。F1に参戦してからは、当時最高のドライバーだったアラン・プロストと対峙することになった。フランス人によって運営され、(フランス人の)ジャン=マリー・バレストルが率いるスポーツで、マクラーレンの最高車に乗ったフランス人ドライバーとね。本編で描かれている通り、当時のF1運営側はセナに不利になるよう仕向けているような節が多々あった。だから、サーキットで勝ってもレース終了後に優勝が取り消されたり、チャンピオンシップまで奪われることもあった。この数年間に見たフッテージ映像やドライバーブリーフィングの映像では、サーキットの危険な箇所を指摘したり、ドライバーの安全のため熱心に発言していたのはいつもセナだった。だから私にとって彼は組織に挑むアウトサイダーだよ」
――この映画を撮るうえで最も注意を払った点を教えてください
「この映画を製作するうえで、プロデューサーと私は事実を明確にし、セナの真の姿を描くことに注力した。私たちは天才ドライバーであるセナと、一人の男であるセナの人間性を描きたかった。この映画をF1ファンだけが見る映画にしたくなかった。F1レースを一度も見たことがない人や、アイルトン・セナの名前さえ知らない人にも語りかけたかったんだ。だから、独占的にアクセスした素材を見たり、リサーチしたりするのに何年も費やしたし、アイルトン時代のF1に関わっていた主要人物全員にインタビューした。私たちが見たフッテージに対するネガティブな意見も全て念入りにチェックした。インタビューの間に気付いたのは、サーキットで本当のところ何が起こったのか、当時そこにいた人たちよりも、私たちの方がより正確に把握しているということ! あれから長い年月が経ったから記憶が曖昧になっているんだろうね。最大の難関は、アイルトン・セナの家族とロン・デニスに本編を見せた時だ。セナと親密で、当時の出来事を一緒に経験した人たちだから、彼らにアイルトン・セナを正確にとらえていると言われた時は大喜びしたよ」
※アシフ・カパディア監督インタビューPART2に続く