【レビュー】映画『チワワちゃん』が、大人の私たちに訴えかけるものとは?
世代を超えて観る者すべてに突き刺さる『チワワちゃん』の“痛み”
いまも根強い人気を誇る漫画家・岡崎京子が、94年に発表した短編コミック「チワワちゃん」。仲間たちのマスコット的存在だった1人の少女“チワワ”の死をきっかけに、それぞれが自分の知る“チワワ”を淡々と語っていく。34ページの短編コミックの物語を大きく膨らませ長編として映画化したのは、91年生まれ、27歳(撮影当時は26歳)の二宮健監督。舞台をSNSで友人の動向を探り合う現代に移し、時代を超えても変わらない“若者たちの刹那”を、見事に照射した。
巷を騒がせた東京湾バラバラ殺人事件の、被害者の身元が判明する。名前を聞いてもピンと来なかった仲間たちは、ようやく彼女がいつも一緒にツルんでいた“チワワちゃん”(吉田志織)だと気づき、愕然とする。チワワを偲ぶため久々に仲間が集うが、誰も彼女の本名も過去も知らなかった――。カリスマモデルとして活躍していたチワワについて、雑誌の取材を受けたミキ(門脇麦)は、改めてチワワとは何者だったのか、仲間に聞いて回る――。
物語は、仲間たちが語るチワワとのエピソードを通し、チワワの正体をミキが手探りで掴もうとする、まるで『羅生門』(50)のようなもどかしさを持って紡がれていく。その“もどかしさ”の実体は、“チワワのようになりたくてもなれなかった”ミキの嫉妬でもあり、憧れでもあり、チワワに一瞬でその愛を奪われた元カレ・ヨシダ(成田凌)への思いの断ち切れなさでもある。だから、ありったけの若さと持て余すほどの情熱を注ぎ込んで遊びまくるパーティ三昧のシーンでさえ、どことなくやるせなさと切なさが漂う。その味わいが、観る者の心を軽く圧迫し、ほんのり心を掻き乱す。なぜなら私たちの多くは、きっと男性でさえミキに自分を投映してしまうから。
それほどに新人・吉田志織が演じたチワワの魅力は圧倒的で、その登場シーンから目も心も瞬時に奪われる。まさに自由の化身のごとく、彗星のように現れ、ヨシダをはじめ仲間の心を一瞬で捉え、中心に君臨してしまったチワワちゃん。冒頭、彼女がクラブに居合わせた男から大金を奪い、街を疾走する姿にドキドキしながら心躍らせ、目が離せない。慌てて追いかけて走り出すミキに、観る者の気持ちもすべて乗っかって興奮必至!そうして始まる「チワワの物語」を、食い入るように見つめることになる。
カメラが1つのキャラクターのように流動的に動き回ると同時に、色んな質感の映像が混在するパーティシーン、コマ送りのような、膨大なカット数のラブシーン、カメラ目線のダンスシーンetc.…。時折ムチャとも思える映像使いも含め、まるでその場を一緒に体感させるかのように、リズムと疾走感あふれる映像で観る者をノせ、幻惑させるパワフルさ!いまをときめく20代の実力派俳優たちの力も大きい。特に語り部ミキを演じた門脇麦が座長の名にふさわしく、新人・吉田志織を引き立たせると同時に、ぐっと物語の糸をたゆませずに引き続け、複雑な感情を表現して物語に深みを与えている。
ヨシダを演じた成田凌も、台詞がほぼないのに絶大な存在感を放ち、近年の著しい成長をさらにうかがわせてくれる。寛 一 郎、村上虹郎らの独特の個性も、やっぱりクセになる!とはいえやはり、いまこの瞬間の二宮監督だからこそ撮り得た作品だったのだろう、という感慨が最も大きい。映画オリジナルのラストを含め、監督が「青春の幻想に別れを告げることが、この作品で一番やりたかった」と語る、切実な自身の青春へのほろ苦い思いが、世代を超えて観る者すべてに、身に覚えのある痛みとして突き刺さってくる。誰かと結びつきたいと願いながら、何者かになりたくて目の前の享楽へ追い立てられるように身を投じ、もっともっとと走り続ける青春の日々。でもそこから一歩、足を踏み出して、これからも生きていく。孤独に押しつぶされないように、自分ひとりの足で立って…。ジワッときつつ、青春に決別を告げるミキの表情が秀逸で、見逃せないラストシーンになっている。
文/折田千鶴子
映画公開にあわせ、チワワちゃん=吉田志織にフィーチャーしたビジュアルブックも発売!
「吉田志織 in チワワちゃん ビジュアルブック」
岡崎京子の原作を映画化した『チワワちゃん』のチワワちゃん役を熱演し、話題を呼んでいる女優・吉田志織。初のビジュアルブックは、彼女が体当たりで魅せた過激なシーンから自由奔放な魅力が弾けるシーンの数々に加え、貴重なメイキングショット、素顔に迫った撮り下ろしフォトと独占インタビューを掲載。映画が持つ鮮やかな世界観の中で、チワワちゃん=吉田志織をたっぷり楽しめる一冊です!
発売中
定価:2000円+税
KADOKAWA刊
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