紗倉まなが綴る異性への失望と女性としての覚醒【映画『エリカ38』特別コラム】
実在の事件をモチーフに、浅田美代子が年齢を偽ってその美貌と話術で人々を騙し、最後は異国の地で逮捕された女性詐欺師を演じた映画『エリカ38』(公開中)。昨年亡くなった樹木希林が企画し、浅田演じる主人公の渡部聡子、通称“エリカ”の母親役も演じた本作について、日本を代表するAV女優として活躍する傍ら、AbemaTVの番組でコメンテーターを務め、「最低。」「働くおっぱい」などの著書も執筆するし、あらゆるメディアで活躍する紗倉まながコラムを寄稿!
後編となる今回はネタバレ全開で、加害者のバックボーンと事件を直結させがちが日本のメディアや、そんな情報に好奇心を抱いてしまう我々について取り上げつつ、自身の体験も交えながら、エリカが欲望の深みに堕ちてしまった背景について綴ってもらった。
メディアは加害者側の背景を覗き込もうとする
痛ましい事件が起きると、日本のメディアは加害者側の人間の背景を必ず覗き込もうとする。どんな環境で育ち、どんな人とどんな交流を経て、どう生きてきたのか。事件に直結しそうな要素を過去や家の中から事細かく拾っていっては、ともすれば勝手な点と解釈でもって繋ぎ合わせ、我々が抱く不安や違和感の根源を強引に示そうとする。その様はテレビを見ていても、ネットで流れてくる記事でも多く見受けられるし、そのなかでも“複雑な家庭環境”というのは、人々の好奇心を誘うキーワードになっていることには違いないと思う。
“複雑な家庭環境”に境界線などあるのか…
それにしても、複雑な家庭環境というのは、いったいどのあたりから線引きされるものなのだろう。複雑なのか普通なのかは、家族関係やそれぞれの役割、性質を冷静に客観視しない限り、その場に身を置き続けていれば次第によくわからなくなってしまうように思える。環境の良し悪しが、人格形成やその人の未来にどういった影響を、どれほどまでに与えるのか。加害者の人間性までにも直結させていいのか。じゃあ自分はどうだったのかを問いてみても、薄れた思い出の中から確信を得ることはなかなか難しい。
異性への失望が価値観を見出す武器になり得る
映画『エリカ38』で、エリカが思春期の頃、父親がラブホテルから不倫相手と一緒に出てくる瞬間を目撃するという描写があった。不倫相手の腰に手を回し、優しく声をかける父親の姿は、家での粗暴な振る舞いとは対照的で、生々しく父親の違う一面を暴いていた。接吻をする女性と父親の舌が艶めかしく動き、不貞な唾液が煌めくたびに、制服姿のエリカはいったい、何を思い、何を決心したのだろうか。
わざわざラブホテルの前で待ち伏せをする勘の良さだけでなく、母が父に殴られている時に涙を流しながら赤いリップを唇に塗り込んで武装するエリカの姿には、人間的な強さと、果てしない女性的な弱さが含まれているように感じた。そんな彼女の姿からは、一生知らないほうがよかったことを、懸命に咀嚼するひたむきさすら垣間見えて、短いながらもひどく切ないシーンであると感じた。異性へと抱く失望や諦めが、却って自分の価値を見出すための武器になり得てしまうのは、どことなく女性の共通項になっているところもあるのではないだろうか。そのきっかけが家族だったのか、友達や恋人や、もしくは錯乱する情報だったのか、それくらいの違いだけで。