『ジョン・ウィック:パラベラム』チャド・スタエルスキ監督が語る、美しさにこだわったアクション
アクション・スタント・コーディネーターとしてキャリアを積み重ね、初監督作『ジョン・ウィック』を成功に導いたチャド・スタエルスキ監督。『マトリックス』の頃からの付き合いであるキアヌ・リーブスとタッグを組み、3作目となる最新作『ジョン・ウィック:パラベラム』(10月4日公開)までシリーズのメガホンをとり続けている彼は、アクション演出の豊富なキャリアを活かして、孤高の殺し屋ジョン・ウィックの物語を発展させてきた。そんな成功の裏側に、どんなドラマがあったのか。監督に話を訊いた。
「通常は脚本ありきだが、私たちの場合は、まずアイデアやテーマありき」
ハリウッド作品としては低予算の部類に入る製作費2000万ドルの『ジョン・ウィック』第一作目が、これほどの成功を収めることを、スタエルスキは想像していなかったという。ジョンの敵となる巨大組織、主席連合のアイデアも、この時点では存在していなかった。
「1作目を撮り終えたとき、私は『これで終わり。アクション・デザインに戻ろう』と思っていた。ヒットのお陰で、続編を作ることができたけれど、それが可能だったのは、このシリーズの製作プロセスが他のハリウッド映画と違うからだ。通常は脚本ありきだが、私たちの場合は、まずアイデアやテーマありき、だ。そこからひとつの世界観を作る。ジョン・ウィックは、いわゆるアクションヒーローとは異なる。ある意味、悪いヤツで、ただ裏社会のルールに従って行動しているだけだ。で、彼に対する影の政府があり、それが主席連合だ。『007』シリーズのスペクターのイメージだね。ジョンは主席連合が仕切る世界や、それによる宿命に縛られている。そこには悪い宿命もあれば良い宿命もある。今回はそれをドラマの核にしようと思った」
殺し屋の復讐劇に始まった『ジョン・ウィック』シリーズは、今や主人公ジョンが世界を相手にするまでに、ドラマが広がっている。それだけで、このシリーズが非常に独特であることがわかるだろう。
「ハリウッドにはシリーズものの呪いと言われるものがあり、続編はオリジナルの要素を残しつつ、より大きなものを作らなければならないと信じられている。僕は大きなものを作ることが必ずしも良いことだとは思わない。『ジョン・ウィック』シリーズは大きくすることより、広げることを重視した。たとえば、初めて日本に来たときは銀座や六本木を見たけれど、次に来たときは京都や大阪を見た。同じ日本という国を見るにしても、いろんな側面を体験できたわけだ。『ジョン・ウィック』も同様で、最初は小さなスペースを披露して、続編ではコンチネンタルホテルとそれをとりまく世界を見せている。ジョンがどこからきて、どこに向かうのかということ、そして彼がいる世界が実はもっと複雑なものだったということを、このシリーズは明らかにしていくんだ」
「アクションを撮るときはいつも哲学的なことを考える」
もちろん、アクションの進化も欠かせない。スタント・コーディネートの専門家であるだけに、スタエルスキ監督はこだわりを見せる。
「今回のクライマックスのアクションで何を語るのかは重要なことだ。前作では鏡の間を舞台にしたが、今回はガラス張りの部屋を使った。あの場面では忍者が登場するけれど、ガラス張りでは隠れることができないから、その設定がまず面白い。とはいえ、作る側には問題が山積みだ。スタッフも隠れる場所がないし、ライティングも難しい。でも、そんなふうに課題を持ち込むことで、映画作りは面白さを増す。単に、キアヌとスタントの格闘を撮っているだけじゃない。どこで何を撮るかによって美しさが増す。アクションに限った話ではないけれど、私は美しさにはこだわっている。また、アクションを撮るときはいつも哲学的なことを考える。“人生の透明性とは?”というような、ね。いつもそういうテーマを持たせたいと思っているんだ」
『ジョン・ウィック』の世界は、いろいろな意味で奥深い。アクション映画としてのクオリティは言うまでもなく高く、それを体感するだけで楽しめるが、美や哲学に注目して見てみれば、意外な発見があるかもしれない。
取材・文/相馬学