『ナンネル・モーツァルト』ルネ・フェレ監督「音楽や衣装だけでなく全てにこだわった作品」
『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』が4月9日(土)より公開を迎える。ナンネルとはマリア・アンナ・モーツァルトの愛称であり、かの神童、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの実姉である。本作の監督であるルネ・フェレと、ナンネルを演じた監督の娘マリーが来日、インタビューを行った。
――音楽、衣装、舞台、キャスト全てが美しかったです。どれが欠けても本作は成立しなかったと思いますが、監督の一番のこだわりは?
「特に何かに気を配ったことはない。それら以外にもメイクやヘアなど、全てにこだわった。まさに欠けてはならないもので、参加してくれたスタッフも高い技術を持っていたよ」
――フランスの映画産業も厳しいと聞いています。独立配給は厳しいですか?
「自分の選択で何が必要不可欠か、自分の撮りたいものを撮ろうとするなら、商業ベースでは無理だ。それなりのスターを使わなければならないし、お金もかかる。採算ベースに合う作品となると、撮りたくない作品でも作らなければならない。このような映画は配給できなくなるだろう。しかも熱意のない配給会社だと、良い作品を世に送り出すことなど不可能だよ。だから独立を目指すしかないんだ。それは必然的に家族経営的になってしまうんだがね」
――ではマリーに聞きたいのですが。もしあなたが映画の舞台となる18世紀に生きていたら、自分自身どうなっていたと思いますか?
「今と全然違っているのは間違いないわね。女性は自分の望んでいることができない、それが当たり前の社会だから何もできないかも。ナンネルのように、そんな社会に流されるのではなく、何かしら試みるのは素敵よね。私もあきらめないで試みてみると思うの。でも限界があるし、結果も見えているわ。だからこそ自分を支えてくれる存在が必要だと思うの。私にとってそれは家族よ」
――監督とマリーは実の親子ですが、仕事を通じて、監督、役者としてのお互いの印象を聞かせてください
監督「レオポルドとナンネルの関係と同じだね。演技者の多くは舞台などで訓練を受けているけど、娘にはそれがない。だからこそ、彼女の持っているものを演技に出すしかない。それが映画の中で感じられて、その姿が良かったと思うよ」
マリー「監督の演技者への要求で、わからない部分がたくさんあったわ。撮影の中で、ナンネルが窓を開けて外を見るシーンがあるの。カメラはナンネルの背中だけを映している。その背中だけで今ナンネルが何を考えているか、気持ちを伝えないといけない。私はその気持ちがなかなか理解できなくて、何度も撮り直すことになった。かなり大変だったわ」
――マルク・バルベとデルフィーヌ・シュイヨーの配役について聞かせてください
「モーツァルト夫妻は恋愛結婚していたことがわかったんだ。ふたりは美しいカップルだったこともわかった。演技力はもちろんだが、何よりもまず外見の美しさが重要だった。レオポルド役のマルク・バルベはすぐに決まったよ。教育者としてのカリスマ性も持っていたしね。アンナ役は何人かの女優を考えたんだが、妻として母としての愛情、子供に対する夢、女として時代の犠牲者でありながら、それを感じさせない強さなど、あらゆる要素を併せ持つ必要があった。だからとても難航してしまった。最終的にデルフィーヌに決まってほっとしたよ」
――ラスト近くでマリーとルイーズが修道院で対面するシーンがあります。本作の全てが凝縮されたシーンのように思えるのですが、どういう意図で撮ったのでしょうか?
「このシーンはとても重要で、ルイーズの役もまた重要なんだ。お客さんはルイーズの存在をあまり重要視しないかもしれないが、そうじゃない。とても重要なポジションだ。彼女が女性として産まれてしまったため、あのような状況下に置かれてしまった。もはや宗教しか頼るものがない。女性の悲劇、それは王の娘としての悲劇、平民の娘としての悲劇、その両方を象徴している、とても意味のあるシーンだ。じっくり見てほしい」
最後に質問したルイーズだが、実はこの役を演じているのは、監督の実の娘でマリーの妹になるリザだ。監督・脚本・製作はルネ・フェレ、製作・編集は妻のファビエンヌ、助監督は息子のジュリアン、そして主人公のナンネルを娘マリー、重要な役どころとなるルイーズを娘リザが。本作は、まさに独立配給と言うにふさわしい家族で作り上げた、監督が本当に撮りたかった作品なのだ。
また、当然のことながら、音楽の素晴らしさも忘れてはならない。ヴォルフガング役のダヴィッド・モローはパリの国立地方音楽学院に在籍するバイオリニストでそのテクニックを惜しみなく披露している。そして実際にヴェルサイユ宮殿を使ってロケを敢行、絢爛豪華な宮廷絵巻と美しい音楽の二重奏を是非劇場で堪能してもらいたい。【Movie Walker】