【レビュー】トルコの名匠が描く圧倒的な映像美と家族のつながり…魅惑的な『読まれなかった小説』の世界
『昔々、アナトリアで』(11)や『雪の轍』(14)などで数多くの受賞歴を持つトルコの名匠、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の最新作『読まれなかった小説』(公開中)の主人公は、青臭くて皮肉屋の文学青年だ。作家を志して大学を卒業し、田舎の実家に帰ってきた若者シナンは、すでに書き上げた初めての小説を出版しようと奔走するが、誰にも取り合ってもらえない。時の流れに取り残された閉塞的な故郷の村に嫌気がさし、地元の人々にもなじめないシモンは、悶々とした思いを抱えて漂流の日々を過ごすはめになる…。
要するに本作は、極めて内省的で、思索的な映画だ。派手な見せ場はほとんどないし、わかりやすい笑いと涙の人情ドラマでもない。おまけにセリフの量は膨大で、本編は3時間9分もあるため、腰が引けてしまう人は少なくないだろう。あまりにも高尚で、退屈な“文学映画”なのではないかと。
実際に本作は“高尚な文学映画”であることは確かだが、理屈ばかりこねくり回す退屈な作品ではまったくない。それどころか映画ならではの豊かな魅惑に満ちあふれ、スクリーンに映し出される光景にはっと息をのむ瞬間がいくつも散りばめられた“驚くべき文学映画”なのだ。
雄大な自然をカメラに収めた映像美が観る者の感性を揺さぶる!
その映画的な魅惑の源泉は、まずロケーションにある。ギリシャ神話におけるトロイ戦争と第一次世界大戦のガリポリの戦いに縁あるトルコ北西部のチャナッカレで撮影を行い、その無数のカモメが飛び交う港町の風景と雄大な自然を余すところなくカメラに収めた映像美に目を奪われる。風、雪、霧などの自然現象を取り込むジェイラン監督特有の感性も存分に発揮されている。例えば、主人公のシナンが今は人妻となった美しい幼なじみの女性と森で再会するシーンでは、何気ない対話のさなかに風で木々がざわめき、突如として画面になまめかしい官能性が立ち上がる。得体の知れないスリルに背筋がゾクリとし、これぞ映画だと唸らずにいられない描写がそこにある。
現実にファンタジーがまぎれ込む深遠な“文学映画”
さらに、ところどころに挿入される“悪夢”のシークエンスも実にスリリングだ。文学青年のあてどない思索の物語に、いつしか現実との境目が曖昧なファンタジーがまぎれ込み、観る者をマジックリアリズムというべき異次元へと誘う。そして最も謎めいているのは、シナンと折り合いの悪い父親イドリスのキャラクターだ。教師でありながらギャンブルに溺れるこの老人は、シナンから蔑みの目を向けられながらも、常にヘラヘラと薄笑いを浮かべ、水の出ない井戸を掘り続けるなどの不可解な言動を繰り返す。
やがて終盤、そんな父と息子の断絶を生々しく描いていた映画は、題名にもなっているシナンの“読まれなかった小説”を媒介として、容易に断ち切ることのできない家族の絆を浮かび上がらせていく。そんな登場人物たちの流浪の果てを見つめたエンディングのシークエンスには、またしても思いがけない“悪夢”がまぎれ込み、衝撃すら伴う感動をもたらす。親子の葛藤と和解、罪と浄化、そして人間の生と死、人生というものの残酷さと美しさ…。このうえなく神秘的で、言葉では尽くしがたいその余韻に触れた観客は、まさしく長大にして重厚な文学作品を読み遂げたような充足感に浸ることになるだろう。ぜひともこの魔法めいた深遠な“文学映画”と、じっくりと向き合ってほしい。
文/高橋諭治