『希望の国』の園子温監督「原発問題を描かない日本の映画界がおかしい」
ひるまない男だ。『冷たい熱帯魚』(11)の鬼才・園子温監督が、3.11をモチーフに入れた『ヒミズ』(12)に続き、今度は真っ向から原発問題を斬った映画『希望の国』(10月20日公開)を撮り上げた。原子力発電所のある町で酪農を営む家族が、大地震での原発事故を経た後、どう生きていくかを模索していく。園監督が被災者に取材を重ね、現地での悲痛な叫びを吸い上げた渾身の一作だ。園監督にインタビューし、本作を撮った決意と覚悟について話を聞いた。
震災後の原発問題をダイレクトに扱うことは、かなり勇気のいる行為だと思うが、園監督の背中を押したものは何だったのか?「『ヒミズ』の時も色々言われました。せっかく『冷たい熱帯魚』などがヒットしてきたのに、なぜあえて人を減らすようなことをするのか?と。ドキュメンタリーではなく、3.11の原発を描くドラマはまだなかったので、世間体もあったし、自分的にも苦悩はありました。でも、それはすぐに頭を切り換えました。やっぱり、今だからこそ撮るべき映画だと思ったから」。
「この問題が他と違うところは、現在進行形だという点です。だから、脚本を想像力で書いてはいけなかった」という園監督。脚本作りのため、園監督が被災者から話を聞き始めたのは震災の傷跡が生々しい2011年8月だった。「最初は朝から晩までやっていた報道も次第に冷めてきていました。これを風化させてはいけないという思いもあったし、他のアートや文学は3.11について、どんどん発信が始まっていた。でも、日本の劇映画から発信するものは特になかったので、自分がやらなきゃいけないと思いました」。
『希望の国』が完成した今、心に迷いはないのか?と聞くと、「映画を作ると決めた際に、一つの覚悟をしたわけだから、今は何も迷っていないです。でも、僕に迷いがあるどころか、皆さんに迷いがあるのがおかしい」と、語調を強める。「よく取材で、『なぜ、今、福島を映画化するんですか?』と聞かれるけど、逆に僕は『なぜ、みんなそれをしないのか?』と聞きたい。あんなに大きなことが起きても、それを映画の題材にしない日本の映画界はすごくおかしいと思う」。
「無関心が一番いけない」と語る園監督は、今後も原発問題を扱った映画を作っていくべきだと考えている。「こんなに臆病なの、日本人だけですから。たとえば、アメリカだったら『ハート・ロッカー』(イラク駐留の米軍爆発物処理班の苦悩を描く反戦映画)とか、今、進行中の戦争に対する批判を込めた映画をメジャースタジオで作り、なおかつアカデミー作品賞になったでしょう? だから、日本も大手が作るべきなんです。今回、ヴェネチア国際映画祭で発表された、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』は、今、アメリカで流行っている新興宗教の教祖を描いた作品だし。海外ではそういう映画を普通に撮りあげています」。
園監督は、『希望の国』を2012年中に撮り、公開まで漕ぎ付けることにこだわった。「たとえば、特攻隊の映画を、戦争が終わって一年後に映画化したらタブーになるけど、傷ついた人が死んじゃっていなくなった今なら、感動のモチーフにできる。でも、そうなってから作ることに何の意義があるのか?って思う。本作は2012年中に公開してこその映画。事故のことを風化させてはいけないんです。“鉄は熱いうちに打て”ですから」。
『希望の国』の後は、國村隼、堤真一、二階堂ふみ、友近、長谷川博己、星野源らを迎えたバイオレンスアクションコメディ『地獄でなぜ悪い』(2013年3月公開)が待機中だ。本作については「超エンタメ映画で面白くて、笑って終わるポップコーン映画」だと話す。「僕は今後も、ちょっとだけ問題作、みたいなものは一切撮らずに、全く問題も何もないエンタメ映画を作る一方で、『希望の国』みたいな問題作を撮っていくようにしようかと思っています。両極端ですよね」。確かに、その振り幅はすごい。
これまでに何度も“問題作”というレッテルを貼られた容赦ない作品を放ってきた園監督。『希望の国』は作風こそは静かだが、その衝撃度と思いの強さは群を抜いている。しっかりと園監督の思いを受け止めてほしい。【取材・文/山崎伸子】