園子温監督、原発映画『希望の国』のタイトルに込めた本音を語る
信念に基づき、闘い続ける男・園子温。でも、手に持つのは剣や銃ではなく、メガホンだ。3.11の原発問題で彼自身が感じた憤りや憂いを、力強く活写した『希望の国』が10月20日(土)から公開される。その勇気を称える声もあるが、逆に本作を撮ったことで園監督自身が矢面に立たされる局面もあるのではないか。園監督にインタビューし、クールな表情の裏に見える熱い思いを聞いた。
原子力発電所のある町で、酪農を営む家族が、大地震での原発事故に翻弄されていく。『希望の国』は、園監督自身が被災者に取材をし、真摯に脚本に投影した重厚な物語だ。『ヒミズ』(12)でも3.11を扱った園監督だが、今回は物語も撮影方法も、リアリティーにこだわった。覚悟を決めて撮った本作だが、完成した映画を被災者に見せる時の監督の胸中は複雑だった。
「この映画の役目は、実際に原発事故を体験しなかった人たちにそれを体験させることでした。福島のことを言葉上で討論するのはたやすいですが、実際にみんなが体験しているわけではない。それがドキュメンタリーとは違うドラマの強みだと思いました。でも、被災者の方々の上映会が決まった時、よく考えたら、この人たちはすでに辛い思いをしていきたわけだから、それをまた追体験させてしまうなんて、酷なんじゃないかと心配になったんです。また、取材はたくさんしたけど、想像力で描いた部分は絶対にあるから、『こんな映画、撮りやがって』とか『俺たちのこと、わかってねえ』とか、言われることは覚悟しました。それで上映後、被災者の方が『自分の物語がそこにあった』と言ってくれたのを聞いた時、良かったなと思いました」。
放射能という見えないものを描いた本作だが、実際に撮ってみて、意外な発見があったという。「目に見えない放射能と対峙する人間の姿を見ていると、今まで見えてなかったいろんなものが見えてきました。たとえば、この映画を製作するに当たっての周りの反応もそう。最近の映画がヒットしてきたので、『次もお金を出しますよ』と言ってくれていた人が、原発の映画を撮ると話した途端、蜘蛛の子を散らすように引いていった。また、劇中でも描きましたが、福島から引っ越してきた、と言うだけで、人から『近寄りたくない』と、差別を受けたりもしたそうです。放射能ももちろん怖いですが、そういう人間たちの方が怖いですよね」。
監督の妻で女優の神楽坂恵は、本作で放射能に過敏に反応する酪農一家の嫁役を演じた。「神楽坂は、撮影中も撮影後も役に入り込みすぎて、放射能に対して強烈に敏感になってしまいました。だからこそ、この前一緒に福島へ連れて行ったんです。現地を見てもらおうと思ったから。僕はガイガーカウンターを2台持っていますが、確かに福島は東京よりも放射能がありますけど、自分が今住んでいる東京の部屋だって、放射能は出ます。そういう日本で僕たちは生きているってことを、みんなが知らなさすぎるだけなんです」。
では、『希望の国』というタイトルに、どんな思いを込めたのだろうか?「最初は皮肉を込めてつけたんですが、だんだん被災地で取材をしていくうちに、その気持ちは変わっていきました」。そして園監督は、大晦日に福島を訪れた時の話をしてくれた。「柵を超えて、真夜中に圏内に入ったんです。初日の出を原発事故の20km圏内で迎えようと思ったから。そこは、かつて凶暴だったけど、今は静かになった南相馬の海で。3.11の時のままで止まっている、その場所から上った朝日が、息を呑むくらいに綺麗だったんです。それを見た時、直感的に理屈抜きで、『希望の国』というタイトルでいけると思いました」。
園監督は、今後も3.11をテーマにした映画を撮っていきたいと語る。「既に先月から福島の映画を撮り出しています。今度こそ福島でロケをしようと、自分でカメラを持って行ってます。日本だとお金が集まらないから、自分のお金で自主映画としてやろうかと。今は風景ばかりを撮っていますが、風景だけの短編映画もありかなって。いろんな出口があって良いと思っているので」。園監督の飽くなき戦い、いや挑戦は今後も続いていく。まずは、闘魂の一作『希望の国』を自身の目でしっかり確かめてもらいたい。【取材・文/山崎伸子】