本木雅弘、『ライフ・オブ・パイ』 の少年とアイドル時代の自分を比較
『アバター』(09)のジェームズ・キャメロン監督をもうならせたというアン・リー監督、初の3D映画『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』(1月25日公開)。第85回アカデミー賞で作品賞を含む11部門にノミネートされた本作で、実写洋画の日本語吹替に初挑戦した本木雅弘にインタビュー。本作の見どころと共に、親になった今の自分と、10代の頃の自分の話も聞かせてくれた。
本作はヤン・マーテルの同名小説の映画化作品。本木が声を当てたのは、成人した主人公パイ・パテルだ。彼は、家族が経営する動物園の動物たちを乗せた貨物船で遭難し、ただ一人生き残るが、その後、命懸けでトラと漂流することになる。まずは、最初に映画を見た感想から聞いてみた。「自然な臨場感を持って、3D映像が楽しめたんです。普通なら、途中でメガネが邪魔になってくるのですが、そういうことも忘れてのめり込んでいきました」。
声を当てたパイの心情を、本木はこう読み解く。「原作にもあったけど、パイにとって、トラよりも遥かに怖い敵が絶望だったと思うんです。彼がもしも一人でいたら、家族を失った苦しみや、その先の想像を絶する未知の孤独に押し潰されていたかもしれない。トラとコミュニケーションを取るのはとても難しいことだけど、猛獣がいたことで、彼は緊張を強いられ、そのことが彼を生かしていたのではないかと。言葉が通じずとも、時間を共有できる相手がいたから、彼は生きていくことができたんです。結果的には自分が希望を作り出していったというか。色々と考えが深まっていく映画です」。
パイは、どんな困難に遭おうとも希望を捨てないところが素晴らしい。では、少年時代の本木はどうだったのか?「自分の場合は、世間に自虐的でした」と、青春期を振り返る。「パイはインドの情勢が色々変わる時期を生きてきましたが、信念のある父を持ち、家族を愛し、案外素直に少年時代を過ごしていたタイプです。そこで、思いがけなく人生が動いたってことでしょう。僕の場合は、15歳でこの世界へ入り、16歳で初めて歌い、そこから7、8年は学校へ行かなかった分、ここが青春だ!みたいに感じていながらも、常に自分のことを半分商品みたいに思っていました」。
話はトップアイドルだったシブがき隊時代に遡る。「良くも悪くもそのなかで生きていく術を覚えた10代でした。いつ、どこへ行っても最年少という存在で、可愛がってはもらいましたが、常に大人の顔色をどこかでうかがっていたんです。半分は商品だから、要らなくなったらポイかなと思ったりして。また、グループであった分、自分の役割のようななかを生きていました。リーダーはヤックン、愛嬌のフックン、じゃあ自分は?みたいな。だから、本当に裸にされた時、どんな自分が出せるのか?という訓練がされていなかったのかもしれないと今になって思います」。
自分が出演した映画には、いろんな影響を受けてきたと語る本木。「プライベートで子を持つ親として、ある意味、お金は使っているけど、精神的なものをどれだけ豊かにできているのかな?と、今回はそこまで考えてしまいました。今、自分が死んだら、子供たちにどういう父親像が残るのだろうか?と。よく思い出せないけど、いつも愚痴ばかり言っていました、とか言われそうですし(笑)。どんどん実人生にも響いてくる映画でした」。
年代を選ばず、様々な層が楽しめる映画ということも強調する。「見る年齢によっても受け取り方が変わると思います。小中学生が見たら、サバイバルものとしてスリルを味わえるし、子を持つ親や、自分のように伸び悩む中年が見ると、人生を叱咤激励される。仮に同じ状況下に陥った時、自分がどこまで行けるのかと結構、変に想像してしまいますから。一見、過酷な映画ではあるけど、最終的に、真実、そして希望のあり方みたいなものを、自然に考えさせられてしまうのが良いですね」。
オスカー監督である名匠アン・リーと、第81回アカデミー外国語映画賞受賞作『おくりびと』(08)の主演俳優・本木雅弘の初タッグ作『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』。期待値が高い映画だからこそ、スクリーンでその良さを確かめたい。【取材・文/山崎伸子】