加瀬亮がパンクな木下惠介監督に共感「もの作りの不自由さを感じる」

インタビュー

加瀬亮がパンクな木下惠介監督に共感「もの作りの不自由さを感じる」

加瀬亮が『クレヨンしんちゃん』シリーズの原恵一監督初の実写映画『はじまりのみち』(6月1日公開)で、『二十四の瞳』(54)の名匠・木下惠介監督役に挑んだ。主軸は木下監督と母親との情愛の物語だが、一人の映画監督の反骨精神や挫折と再生も丁寧に織り込まれている。木下監督役を演じた加瀬亮にインタビューし、撮影裏話を聞いていったら、今の加瀬自身の立ち位置の葛藤にまで話が及んだ。

『はじまりのみち』は、戦意高揚の国策映画作りが要求された戦時中に、映画作りを断念しようとした木下監督の数日間を描いたもの。戦局が悪化するなか、故郷へ帰った木下監督が、兄や便利屋と共に、病気で倒れた母をリヤカーに乗せて疎開をする。その行程を通して母子の情愛と共に、一人の映画監督の再生が描かれる。

母親をリヤカーで引いて疎開させるという行為については、「実際の道のりを考えると尋常じゃない、ハードコアな行為です。木下監督の表向きの印象は柔らかいですが、相当パンクな人、信念の人だったと思います。実際、作品を見てもそうなんです」と語る。確かに木下監督は、『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも幾歳月』(57)など、叙情豊かな作品の名匠という印象が強いが、実際には、戦後初の長編カラー映画『カルメン故郷に帰る』(51)や、全篇斜めのカメラアングルで撮った野心作『カルメン純情す』(52)など、果敢な映像表現の作品を放ってきたチャレンジャーでもあった。

戦時下で思うように映画作りができないという状況に、加瀬はとても共感したという。「これは職業に関係ないのかもしれないけど、誰にでも立ち止まって途方にくれることがあると思います。今、邦画界のなかにいても、もの作りの不自由さはすごく感じますし。独創的であればあるほど、大勢の人には素直に伝わらない。特に今の時代は、多くの人が面白いという価値観に寄り添わないとものが作れないから」。

加瀬は、インディーズ映画界の苦境についてもこう嘆く。「僕は単館系の映画に影響を受け、その場所を目指してこの仕事を始めたんですが、時代が変わり、気付いたら産業的にはほぼ壊滅状態にあります。そうなると、やはり変わらざるを得ないというか。もちろん、その良さはなくならないでほしいし、いつまでも伝えたいとは思っているけど、実際には辛い状況も受け入れないといけない。今は色々悩み中です。でも、やっぱりどこかにお客さんがいると思ってやっているというのが、唯一のモチベーションです」。

加瀬は、一気にあふれる思いを訴えかけていく。「映画業界に限らず、みんな事情が色々とあって、自分がとても良いと思っているものを曲げざるを得なかったりするわけで。でも、映画にしろ、雑誌にしろ、あらゆるメディアに関わっている人は、やっぱり信念を曲げないでほしい。受け取る方は、それを真に受けていくので。そんなことを言うと、子供だとか、大人の事情がわかってないとか言われるかもしれないけど、自分が正しくないと思うことを、そのまま受け入れてもしょうがない。結果がどうであれ、せめて戦う意志がほしい。今回、戦時中に撮った木下監督の作品を見て、すごいなと思いました。どれだけ孤独だったんだろうかと」。

そういう加瀬が、劇中で映画作りに葛藤する木下監督とオーバーラップする。加瀬自身が木下惠介に成り切って、終始もがいているようにも思えるのだ。そこが本作の強みだとも言えるだろう。

最後に、加瀬は自信を持って本作をアピールする。「本当に素敵な作品です。原監督は初めての実写映画ですが、そういうものを超えたものが入っています。戦時中とか、母子の物語と聞くと、若い人は敬遠するかもしれないけど、とにかく見てほしい。新鮮だし、優しいし、過激な作品でもあります。原監督は本当にすごい方です」。

確かに、改めて原監督の新たな才能を見せつけられる本作だが、加瀬亮、田中裕子ら俳優陣の絶妙なキャスティングがあってこその秀作だ。そして、もう一人、木下惠介という本作の立役者の存在にもうなる!【取材・文/山崎伸子】

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