岩佐真悠子、アソコの人面瘡にエサをやるシーンは卑猥なのに自然!
『009ノ1 THE END OF THE BEGINNING』(13)で、“バストガン”という究極の武器を持つヒロイン役で、グラビアアイドルならではのセクシーバディを炸裂させた岩佐真悠子。最新作『受難』(12月7日公開)では打って変わり、けがれなき乙女役を自然体で好演したが、これまた、ただの清純派ヒロインではなかった。なんと、ある日突然、アソコに人面瘡ができてしまうという、奇想天外な出来事に翻弄される役どころだ。岩佐真悠子にインタビューし、卑猥なワードが飛び交った現場について話してもらった。
原作は、直木賞候補にもなった姫野カオルコの同名人気小説。彼女が演じたのは、天涯孤独で修道院暮らしをしてきた、イノセントな心と体の持ち主・フランチェス子。ある日、彼女のアソコに、突然、人面瘡ができ、しかもそいつが彼女に、罵言雑言を浴びせるのだ。でも、フランチェス子は、人面瘡に“古賀さん”と名付け、一心同体ながらも奇妙な共同生活を送っていく。
岩佐は、フランチェス子役と自分自身は何もかも違うと語る。「もしも、自分に人面瘡ができたら、何が何でも追い出しますね。人に何か罵倒され、それをそのまま受け入れること自体が私はよくわからないから。まずは討論になります」。そう言いながらも「まあ、どうせ僕なんて……と、グジグジ言っている人面瘡の方が鬱陶しいかも」と笑う。
人面瘡と、柔軟に日々コミュニケーションを取っていくフランチェス子。ただ、アソコにできたものだけに、会話をする時の目線も微妙である。「ずっとアソコばかりを見ているわけにはいかないし、かといって、あまり宙を見てしゃべっていると、まるで幽霊と話しているみたい。だから、手を動かしたりして、彼がアソコにいるのを不自然に感じさせないようにと、そこはいろいろと試行錯誤しました」。
特に、人面瘡にごはんをあげるシーンは、かなりシュールだ。でも、とても性格が良くナチュラルなフランチェスコがやっていると、あまりエロスは感じられない。「けっこう卑猥なことを、何の気なしにやっています。でも、コミカルなシーンによって、彼女がセックスできない、男の人とつきあえないという境遇の切なさが逆に際立つような気もしました。全体的に可哀想な雰囲気になってしまうと暗い映画になるし、押し付けがましくなってしまう。もちろん、状況としてはずっと孤独で誰にも愛されない不憫な子ですが、彼女自体がそれを明るくすんなり受け止めているし、だからこそ、人面瘡さえも受け入れていけたのかなと」。
本作では、これまで演じてきたどの役とも違い、とても透明感のある存在感が新鮮だ。「メイク時間は15分くらい。薄くファンデーションを塗るくらいで、ほぼスッピンに近い感じでした。あとは髪の毛をボサボサにし、眉毛もちょっと植えたんです。描くと、いかにも描きましたという感じになってしまうので、毛を足すんです(笑)。ある意味、女性はお化粧によってスイッチが入ると思うんですが、そのスイッチが入らないから、良い意味で力が抜けたと思いました。お芝居を、自然な感じでできましたね」。
過激な設定で話題沸騰のヒロイン像だが、スクリーンのなかで岩佐真悠子が演じた無防備で純真なヒロインは、見る前の想像を良い意味で裏切る。でも、そこが良い。そして見終わった後、愛と性について、いろんな思いを巡らせることになるだろう。【取材・文/山崎伸子】