河瀬直美監督が「用意スタート!」と言わない理由は?

インタビュー

河瀬直美監督が「用意スタート!」と言わない理由は?

『萌の朱雀』で第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少の27歳で受賞し、『殯の森』(07)で同映画祭の第60回グランプリに輝いた河瀬直美監督。最新作の『あん』(5月30日公開)も、第68回の同映画祭「ある視点」部門でオープニング上映された。世界が注目する河瀬監督の映画からは、毎回、なんだか生もののようにリアルな印象を受ける。河瀬監督にインタビューし、その演出の舞台裏について話を聞いた。

原作は、ドリアン助川の同名小説。小さなどら焼き屋の雇われ店長・千太郎(永瀬正敏)が雇った老女・徳江(樹木希林)は、手に不自由さはあっても、作るあんは絶品だった。この2人と、店の常連の中学生・ワカナ(内田伽羅)の交流を通して、根源的な差別問題にメスを入れていく。

樹木希林は、『朱花の月』(11)について2回目の河瀬組の参加となった。「実は、自分の撮影時期に是枝(裕和)組が入るかもしれないという噂を耳にしたんです。それは予算の大きい映画だったので、向こうを選ばれるかなとも思ったけど、本作でお金が集まってない時から絶対にやると言ってくださっていたので、直接お電話したんです。そしたら『河瀬さんとやります』と言ってくださって、是枝組の撮影時期をずらしてくださったようで、ありがたかったです」。

永瀬正敏のキャスティングについては「来てくれた時点で、勝った!と思いました。相米(慎二)組の出身ですし、表現することを真摯にやってこられた俳優さん。お声掛けをして、ジャスト4月が空いてるというのは奇跡でした」と笑顔で話す。本作では、桜の中で千太郎と徳江がふれ合うシーンが肝だからだ。

永瀬について「見た目がワイルドな感じでしょ。役柄もそういう役が多いし。でも、性格は真逆で、お酒が飲めなかったりするし、実は甘党で、コーヒーに必ず砂糖を入れるんです。しかも、すごく几帳面で丁寧だし、とても気を遣える方。だから、千太郎も永瀬くんに合わせて、少し変えていきました」。

徳江も千太郎も、どら焼き屋で作業をする姿は、まるで本当の職人のようだ。まるでドキュメンタリーを見ているようだが、それにはちゃんと理由があった。「俳優さんが、カメラが回っている時間だけ、それをやっているわけではないからです。実際、希林さんは製菓学校へ行ってあん作りを1日学んでもらい、実際に自分で実践できるようになるまでやってもらいましたし、千太郎に関しても、どら焼きを毎日焼いているような手つきになってもらうようにお願いしました」。

河瀬監督のこだわりはその点であり「映画だから本当はごまかせるんだけど、体内から出てくるものとはまた違う」と言う。「簡単に言えば、リアルを追求すること。そのためには、撮影側が、まるで自分たちがいないかのようなふるまいをしなければいけない。撮影本位でやると、俳優たちは動きも制限されてしまうので」。

だから、河瀬監督の指示の出し方は、通常の現場とはかなり違う。「スタッフには、必ずインカムで静かに『回して』と伝えます。『用意スタート!』とは絶対に言わない。録音部には目で指示を出すから、俳優は、いつカメラが回っているかはわからない。たとえば、永瀬さんの出番で、助監督が呼びに行くと、そのまま本番がすでに始まっているわけです」。

劇中で、千太郎が徳江を見て、大きく心を動かされ、なんとも言えない表情を見せるシーンがある。そのシーンも、一連の流れで永瀬から湧き出た感情と表情だったと、河瀬監督は語る。「あのシーンでは、モニターを見ながら泣いたんです。あのショットが撮れたからすごく満足でした。自分ですごく良かったと思ったら、録音部の人もうなずいていて。良いシーンは音だけでわかるそうです。彼らの声の出し方が全然違ったみたいで」。

樹木希林、永瀬正敏、そして本作でまた株を上げるであろう内田伽羅。3人は、まさに劇中で、それぞれの役柄として生きている。また、観終わった後、がつんと強いメッセージが伝わってくる点も河瀬監督作らしい。是非、劇場でご覧いただきたい。【取材・文/山崎伸子】

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