“女性”を讃えた第68回カンヌ国際映画祭を振り返る

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“女性”を讃えた第68回カンヌ国際映画祭を振り返る

開会式で「すべてが新しくなります」と司会のランベール・ウィルソンが紹介したように、今年の第68回カンヌ国際映画祭は、カンヌ叩き上げの会長ジル・ジャコブが勇退し大手ケーブルテレビ局の元CEOピエール・レスキュールが新会長になって初めての映画祭だった。

まずはアカデミー賞のようにパフォーマンスを入れるなどセレモニーのテレビ中継を意識したショーアップが図られ、さらに今年のテーマというものが発表された。「映画は女性です」と女性映画人たちを支え讃えることを宣言したのだ。

これは来年から創設される新しい賞“Women in Motion”を見据えてのもの。この賞をスポンサードするのは総合ファッションブランド企業ケリングだが、実業界にも顔の利く新会長の色がよく出た試みではあった。

カンヌは社会の雰囲気に敏感で、集められたコンペ作品にはその年の傾向というもの、世界や社会の動きが反映されてきた。その中から審査員たちが選ぶ賞は必ずしも傾向に従ったものではないところがカンヌの面白さでもある。

そういう意味では、世界が暴力と不寛容にまみれている今年は世界的な問題を扱った重厚な社会派の作品が並ぶのではと予想していたのだが、見事に外れた。いや、微妙な問題なのであえて外すためにも女性というテーマを掲げたのかもしれない。

ではコンペ作品にそのテーマがどう扱われたかというと、目についたのが、大いなる母の存在とその不在が家族に与える影響、男の仕事に挑戦する女性主人公もの、もしくは永遠のマドンナを求める男たちといったもので、あまり革新的な作品には巡り会えなかった。女性主人公の作品は19本中10本と多いのだが…。

女性というテーマとは別に提示された作品も世界と対峙するのではなく、今ここにある問題を扱い、普遍的ではあるが内向きな問題提起、もっと言ってしまえばそれぞれの問題と対決するのは個人の善しかない、という落とし込みなのである。むしろ19本のコンペ作を覆っていたのは“死”の存在である。何らかの形で主人公たちが直面する“死”が描かれる作品が19本中16本もあった。主人公たちはその影響を受け、どう生きていくかを考え直すのである。

そんな作品群の中からコーエン兄弟を審査員長とする審査員団が選んだパルム・ドールはジャック・オディアール監督の『DHEEPAN』だった。元「タミル解放のトラ」戦士だった男が、戦いを捨て国を出るために見も知らぬ女と子どもと偽家族を作り亡命者として渡仏。低所得者住宅の管理人になり、生き直して本物の家族になろうとする。が、その住宅を根城にするギャングたちの抗争に巻き込まれ、“家族”を守るため奮闘することになる、という話である。

暴力と愛を描いてきたオディアール監督らしい作品と言えるだろう。ラストに、もしかしたらこれは現実ではないかもしれないと思わせるようなほのかな希望を付け加えるのも彼らしい。暴力あふれる世界に対して、せめて映画は希望を信じたいという監督の思いに審査員は魅かれたのではないかと思う。

 グランプリはハンガリーの新人監督が描く、アウシュビッツで死んだ少年を埋葬しようとする男サウルの物語『SON OF SAUL』。主人公の視点に観客を同化させようというカメラ使いと、生き地獄の中に善行を求める人間というテーマは新人離れしている。アウシュビッツの“仕事”を克明に再現して見せたのも衝撃であった。

結局のところ19本のコンペ作品から審査員たちが選び出したのは上記2本のほか、監督賞に女刺客の葛藤を描くホウ・シャオシェン監督『黒衣の刺客』、審査員賞に愛への試練を描くヨルゴス・ランティモス監督『THE LOBSTER』、脚本賞に終末介護士の孤独を描くマイケル・フランコ監督・脚本『CHRONIC』と、“死”に縁どられた“生”や“愛”を描く作品であった。

新会長の意に沿うものではなかったかもしれないが、審査員の独立性をあらためて示した結果だったといえよう。それが、カンヌ映画祭、である。

もっとも、記者たちはもっとウェルメイドな、ナンニ・モレッティの『MY MOTHER』やパオロ・ソレンティーノの『YOUTH』、結局女優賞を、それも文句なしのケイト・ブランシェットではなくルーニー・マーラが受賞しただけに終わったトッド・ヘインズ監督の『CAROL』、三人の男女の25年間を通して中国の変化を描いたジャ・ジャンクー監督の『山河故人(原題)』の受賞を望んでいたが、果たせずであった。審査員はウェルメイド、ナラティブな映画を好まなかったのだ。

うれしかったのは黒沢清監督のある視点部門監督賞の受賞である。今年は日本関係作品が7本も上映され、それぞれに健闘した。久しぶりにジャパン・パビリオンも再開した。予算削減でなくなっていたジャパン・パーティは「KANPAI NIGHT」と名うち、1100人もの参加者を集める盛況ぶりであった。

そんな中での黒沢清監督の受賞である。“死”に縁どられた今年のカンヌ作品の中で、死んだ夫が死んでから暮らした場所を妻と再訪していく旅をするという作品がイザベラ・ロッセリーニ「ある視点部門」審査員長を始め多くの観客の心にさわり、“なにか”を与えたのだ。

“死”は終わりでなく、“生”のとなりにいるもので、岸辺にいる死者たちは生者に寄り添ってくれている。そんな感覚がキリスト教国の人々、もしかしたらカンヌに集まる他の宗教の国の人々にも届いたのであろう。国も宗教も人種や老若男女すべてを越えて心に触れることができる、それが、映画の力というものである。そしてカンヌはそんな力を信ずる者たちの祭りの場なのだ。【シネマアナリスト/まつかわゆま】

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