広末涼子と滝藤賢一が予測不能な新星子役を語る

インタビュー

広末涼子と滝藤賢一が予測不能な新星子役を語る

実話ブログを基にした感動エッセイの映画化作品『はなちゃんのみそ汁』(2016年1月9日全国公開)で、夫婦役を演じた広末涼子と滝藤賢一にインタビュー。2人が、1,000人超の応募者から選ばれた新星子役・赤松えみなとどう向き合ったのか?気になる撮影エピソードについて話を聞いた。

広末が演じるのは、ガンを患いながらも結婚して出産し、乳ガンが再発してからは残された時間をかけて、幼い娘・はなに食の大切さを教え込んでいく気丈な母親・千恵役だ。家族3人で明るくひたむきに生きる安武一家の姿は、大きな反響を呼んだ。

広末たちがつむいだ安武家の日常は、大半が幸せに包まれている。広末は、すごく自然にお芝居ができて、とてもラッキーだったと振り返る。「本当にしっくりいきました。類まれなことかなと思います。また、男性の場合、子どもと接する時、戸惑ったり疲れたりする方もいらっしゃると思いますが、滝藤さんはそういうことが一切なく、本当にフラットに接していらっしゃって、すごく良かったです」。

滝藤は「僕は、広末さんに申し訳なかったです」と恐縮する。「えみなとの撮影方法は、全部広末さんに任せてしまいました。僕は、えみなと遊んでいただけで、責任は全部広末さんが背負ってくれたので。だから、えみなは、広末さんの言うことはしっかり聞いていました」。

広末たちと赤松えみなとのやりとりは、本当の親子のように自然体だ。広末は、赤松について「等身大の4歳の女の子そのままで、自由でした。“ザ・子役”的な上手なお芝居ではありませんでしたが、それこそまさに監督が求めていたもの。彼女は最高の女優さんでした!」と賞賛する。「お芝居なのか、アドリブなのか、わからない自由な表現が、映画の良いエッセンスになってくれたのではないかと思います」。

滝藤は「えみなとのシーンは、一発本番なので緊張しました。何が起きるか分からないから博多弁のアドリブをいくつも用意して臨まなければいけなかった」と苦笑い。広末も「予測不可能な共演者でした」と笑う。「でも、それが家族としてのリアリティを映し出してくれたのかなと。大人が驚かされたり、彼女を抑えるためにとった行動が、すごく親子っぽいものになりました」。

千恵がはなにみそ汁の作り方を伝授していくやりとりからは、娘を思う母の愛の深さが伝わってくる。広末もそのシーンにとても共感できたと言う。「いま、お仕事をしながら家庭をもっている女性が多いなか、なかなか難しいとは思うのですが、改めて食について考え直すべきではないかと私は思います。本当は誰だって家族で食卓を囲みたい。でも、それができないのなら、少なくとも自分が作ったものを食べさせてあげたいなと。食事を通して、栄養だけではなく、愛情も渡したいから」。

滝藤もうなずく。「やっぱり母親の愛情のこもった手作りのものを食べた方が良いです。もちろん、仕事や環境もあるとは思いますが、親の料理を食べられるのって、限られた時間ですからね」。

千恵は、自身の人生について「私はツイていた」という言葉を残していた。滝藤は、この言葉を受け「いま聞いても泣ける」と感極まり、目を赤くする。「あのシーンは大変でした。とにかくあふれる感情を抑えるのに必死で。あの言葉を広末さんから投げられた時点で、ほぼ涙腺が崩壊していました」。

広末は、柔和な眼差しで「安武さんたちの夫婦関係も絶妙なんですよね」と滝藤を見る。「こういうだんなさんだったからこそ、千恵さんは真っ直ぐそのままでいられたのだと思います。実際の信吾さんもすごく泣き虫で、千恵さんは、はなちゃんだけでなく、だんなさんも守りたい存在だったからこそ、自分が明るくいようと思えたのではないかと。信吾さん役の滝藤さんを目の当たりにして、私もそう感じました。自分が泣きたいけど、これは泣けない、と。でも、それが女の人なのかもしれません。私の母も、父が先に泣いてしまうから自分が全然泣けないと、よく怒っています(苦笑)」。

また、広末は、千恵の生き方をこう賛辞する。「千恵さんはたくさんの人とブログを通じてつながっていたので、ガンのリスクを誰よりも痛感していたと思います。たくさんの現実を知っているからこそ、いまある幸せを最大限に実感できたのではないかと」。

安武千恵という人は、短いながらも人生をとても丁寧に、そして豊かに生きた人だと思う。映画を観終わった後、「私はツイていた」というフレーズが、ジャブのようにじわじわときいてくるのも納得。【取材・文/山崎伸子】

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